−85−76]斎の催を蘭軒の知らなかつたのは意外である。しかし※[#「木+夜」、第3水準1−85−76]斎は会期を病褥にある蘭軒に告げなかつたのであらう。
茶山は蘭軒を訪うた帰途「茗渓即事」の二絶を得た。これは蘭軒の本郷にゐた証に充《み》つべきであらう。「中元時節雨霏霏。両夜遊期各処違。此日無端問人病。長橋独踏月光帰。」「林頭月走夜雲忙。数店燈毬閃閃光。茗水橋辺行客少。満街風露進新涼。」
茶山の集を繙閲《はんえつ》すれば、宴飲の盛なることは秋冬の交が尤甚しかつた。此時に当つて綻びた衣《きぬ》の繕《つくろひ》、朝夕の飲饌の世話などは、蘭軒の家が主としてこれに当つてゐたらしい。伊沢氏は詞場に酣戦してゐる茶山がために兵站の用をなしてゐたらしい。
菜蔬は蘭軒の妻が常に店頭《てんとう》の物を買つて送つたが、或日それに自園の大根を雑へて、蘭軒の詩を添へて遣つた。「園蔬頗肥、贈菅先生、誇其美云。学圃近来術不疎。肥※[#「酉+農」、7巻−147−上−10]自愛満畦蔬。贈君莱※[#「くさかんむり/服」、第4水準2−86−29]尤佳味。却勝市門店上魚。」
十一月には茶山の官事が稍忙しくなつたらしい。「霜月廿九日」とした手紙に、「此頃府誌いそがしく他出むづかしく候」と云つてある。府誌とは福山地志か。此書は文化六年に成つて上《たてまつ》つたものである。更に筆削などを命ぜられたものであらうか。
同じ書に「御姉様よりめづらしき御茶碗御恵被下、私かねて望候物、別而難有奉存候」と云ひ、又「下著御仕たて被下、奥方様へ御世話の御礼宜御申可被下候」と云つてある。「御姉様」は黒田家に仕へてゐた蘭軒の姉|幾勢《きせ》か。幾勢には茶碗の礼、益《ます》には下著の礼が言つてある。
その七十二
此冬文化十一年の冬の間に、菅茶山は幾度蘭軒をおとづれたか不明である。しかし前に引いた十一月二十九日の書にも「其内|偸間《とうかん》可申候」と云つてある。
十二月六日に至つて、茶山は果して夕方に蘭軒を訪うた。蘭軒夫妻は厚くもてなし、主客の間には種々の打明話も交換せられた。茶山は襦袢が薄くて寒《さぶ》さに耐へぬと云つて、益に繕ふことを頼んだ。又部屋の庖厨の不行届を話したので、蘭軒夫妻は下物《げぶつ》飯菜の幾種かを貽《おく》つた。茶山は夜更《よふ》けて、其品々を持ち、提灯を借りて神田の阿部邸に還つた。
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