ばら》く右の秋冬の詩を此年文化四年帰府後の作として視る。
 蘭軒は八九月の交に病んで、次で病の痊《い》ゆるに及んで、どこか田舎へ養生に往つてゐたかと思はれる。「山園雑興」の七律に、「病余只苦此涼秋」の句がある。
 季冬には蘭軒が全く本復してゐた。十二月十六日は立春で、友人の来たのを引き留めて酒を供した。「此日源士明、木駿卿、頼子善来話。昨来凝雪尚堆蹊。不惜故人踏作泥。※[#「土へん+盧」、第3水準1−15−68]酒交濃忘味薄。瓶梅春早見花斉。欲添炭火呼家婢。更※[#「不/見」、第3水準1−91−88]菜羮問野妻。品定吾徒詩格罷。也評痴態没昂低。」
 源士明《げんしめい》は植村氏、名は貞皎《ていかう》、通称は彦一、江戸の人である。駿卿《しゆんけい》は木村|定良《さだよし》、子善《しぜん》は頼遷《らいせん》で、並に前に出てゐる。
 蘭軒雑記に士明の名が見えてゐる。それは或|俚諺《りげん》の来歴を語つてゐるのである。「源士明いはく。俗に藪の中|香々《かう/\》といふ事あり。人熱田之事をひけどもさにあらず。傭中之佼々《ようちゆうのかう/\》といふ語の転音ならむ」と云ふのである。やぶのなかのこうのものと云ふ語は、古来随筆家|聚訟《しうしよう》の資となつてゐる。わたくしは今ことさらにこれを是非することを欲せない。しかし士明の説の如きは、要するに彼徂徠の南留倍志《なるべし》系に属する。此系は今猶連綿として絶えない。最近松村任三さんの語源類解の如きも、亦此|源委《げんゐ》の一線上に占位すべき著述である。
 頼家では此年春水が禄三十石を増されて百五十石取になつた。
 文化五年には先づ「春遊翌日贈狩谷卿雲」の二絶がある。想ふに同行翌日の応酬であらう。近郊の花を看て、帰途柳橋辺で飲んだものかと推せられる。但近郊が向島でなかつたことは後に其証がある。「籬落春風黄鳥声。淡烟含雨未酣晴。日長踏遍千花海。晩向垂楊深巷行。」「解語新花奪酔魂。翠裳紅袖映芳尊。朝来総似春宵夢。贏得軽袗飜酒痕。」
 三月中に蘭軒は居を移した。伊沢分家の口碑には、此遷移の事が伝へられてゐない。集に載《の》する二律に「戊辰季春移居巷西」と題してあり、又「巷西※[#「くさかんむり/弗」、第3水準1−90−75]地忽移家」の句もある。新居は旧居の西に当つてゐたが、相|距《さ》ること遠からず、或は町名だに変らなかつた位の事であら
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