て馬頭観音を彫刻せり。半幹《はんかん》也。堂を構て梢葉《せうえふ》その上を蔽庇す。堂の大さ二間余にして観音の像中に満るの大さなり。樹の大なることしるべし。二里成瀬駅。(五十丁一里。)二里塚崎駅。一商家に休す。駅長の家の温泉に浴す。清潔にして味《あぢはひ》淡し。脚気、疝気を愈《いやす》といへり。三里(五十丁一里)嬉野《うれしの》駅。茶屋正兵衛に宿す。此駅毎戸茶商なり。温泉あり。此日秋暑尤甚し。行程九里許。」
詩。「嬉野。※[#「栩のつくり/廾」、第3水準1−90−29]輿何趨歩。駅程将晩時。山痩多見骨。松老尽蟠枝。芳茗連家売。温泉一洞奇。村人秉竹火。迎我立荒岐。」
第四十四日。「四日卯時発す。三の瀬村の※[#「土へん+侯」、第4水準2−5−1]《こう》に十|囲許《ゐきよの》樟木あり。中|空朽《くうきう》の処六七畳席を布《し》くべし。九州地方|大樟《たいしやう》尤多しといへども此《かくの》ごときは未見《いまだみず》。江戸を発して已来道中第一の大木なり。三里|薗木《そのき》駅(一に彼杵《そのき》と書)なり。駅に出んとする路甚勝景なり。図巻末に附。鶴屋又兵衛の家に休す。三里松原駅。海辺路を経て桜の馬場といふ処あり。桜樹三四丁の列樹なり。花時おもふべし。又松林平にして海を環る二里大村城下。荒物屋三郎兵衛の家に宿す。鏑木雲潭《かぶらきうんたん》(名祥胤、字三吉《あざなはさんきつ》、河西野《かせいや》の次子)大村侯の命によりて今春よりこゝに家居して此夜来訪す。歓晤|及暁《あかつきにおよび》てかへる。此日暑甚し。行程八里許。」
欄外に森|枳園《きゑん》の樟の大木の考証がある。樟の木の最大なるものは伊予国越智郡大三島にあると云ふのである。「樟の大樹いよの大三島にあるもの大さ廿八人|囲《めぐり》を第一とす。次は廿一人囲、次は十八人囲、この類は極て多し。第一のものは今枯たりと云。」薗木駅の図も例の如く闕けてゐる。
鏑木雲潭、名字は本文自註に見えてゐる。「河西野の次子」と云つてある。
河西野は市河寛斎で、其長子が米庵《べいあん》三|亥《がい》、次子が雲潭祥胤である。出でて鏑木梅渓の養子となつた。梅渓、名は世胤《せいいん》、字は君冑《くんちう》である。長崎の人で江戸に居つた。梅渓は享和三年二月四日に五十五歳を以て終つた。当時雲潭を肥前国に召致してゐたのは大村上総介|純昌《すみよし》
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