谷《ばかだに》といふ。城主より撫院迎接の為に山上に茶亭を作る。皆|松枝《まつがえ》青葉を束《つかね》て樊籬屋店《はんりをくてん》を作る。欽明寺坂を下りて四里久賀本郷駅なり。駅の南に嵯峨として聳たる嶺見ゆ。夫木《ふぼく》集中に詠ずる冰室《ひむろ》ならんか。土人冰室が嶽といふ。(夫木集に、周防氷室池詠人不知、こほりにし氷室の山を冬ながらこちふく風に解きやしぬらむ。)半里高森駅。愛宕屋与三郎の家に宿す。此日午後驟雨微涼。晩間暑はなはだし。夜尤甚し。行程七里半許。」
 黒河、小瀬川及岩国山の下に貞世《さだよ》の道ゆきぶりが引いてある。岩国山の歌が三首ある。「とまるべき宿だになきを駒なづむいはくに山にけふやくらさむ。たちかへり見る世もあらば人ならぬ岩国山を我友にせむ。たらちねのおやにつげばやあらしてふいは国山をけふはこえぬと。」小瀬川一名大竹川の所に所謂国史は続日本紀である。

     その四十五

 第三十四日は文化三年六月二十三日である。「廿三日卯時発す。二里今市駅。呼坂《よびざか》を経るに人家街衢をなす。撫院河内屋藤右衛門といふものの家に小休す。薬舗なり。蔵書数千巻を曝す。主人他に行故をもつて閲《けみ》することを不許《ゆるさず》。呼坂は蓋《けだ》し昔にいふところの海老坂なり。松山峠を経二里久保田駅(一名久保市)なり。二十八町花岡駅。山崎屋和兵衛の家に休す。主人手みづから比目魚《ひもくぎよ》を裁切して蓼葉酢《りくえふさく》に浸し食せしむ。味《あじはひ》最妙なり。山路を経るに田畝|望尽《のぞみつき》て海漸く見《あらは》る。廿五町久米駅。廿四町|遠石《とほいし》駅なり。右の岡上八幡の祠あり。又市中|影向石《えいかういし》といふものあり。大石なり。上に馬蹄痕あり。土人の説に古昔宇佐八幡の神飛び来《きたつ》て此石上にとゞまるなりといへり。貞世紀行には此石海中にある文見ゆ。桑田碧海の歎おもふべし。人家の所尽て松原なり。青田瀰望また列松数千株めぐれり。松外は大海雲晴遠島飛帆その間に隠見す。半里野上駅。すなはち徳山城下なり。鶴屋新四郎の家に小休す。城此をはなるゝこと十町|許《きよ》なり。浅井金蔵谷祐八(金蔵|字《あざなは》子文祐八字子哲徳山の臣なり)のことを物色するに、みな安寧なりといへり。海面に佐島大山島を望。一里十二町富田駅にいたる。駅は山の半腹なり。山東南に面して海中に出るがご
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