使者にやって、賞詞《ほめことば》があった。親戚朋友《しんせきほうゆう》がよろこびを言いに来ると、又七郎は笑って、「元亀《げんき》天正のころは、城攻め野合せが朝夕の飯同様であった、阿部一族討取りなぞは茶の子の茶の子の朝茶の子じゃ」と言った。二年立って、正保元年の夏、又七郎は創が癒《い》えて光尚に拝謁《はいえつ》した。光尚は鉄砲十挺を預けて、「創が根治するように湯治がしたくばいたせ、また府外に別荘地をつかわすから、場所を望め」と言った。又七郎は益城《ましき》小池村に屋敷地をもらった。その背後が藪山《やぶやま》である。「藪山もつかわそうか」と、光尚が言わせた。又七郎はそれを辞退した。竹は平日もご用に立つ。戦争でもあると、竹束がたくさんいる。それを私《わたくし》に拝領しては気が済まぬというのである。そこで藪山は永代御預《えいたいおあず》けということになった。
畑十太夫は追放せられた。竹内数馬の兄八兵衛は私に討手に加わりながら、弟の討死の場所に居合わせなかったので、閉門を仰せつけられた。また馬廻りの子で近習を勤めていた某《それがし》は、阿部の屋敷に近く住まっていたので、「火の用心をいたせ」と言
前へ
次へ
全65ページ中64ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング