nt《レガアル》〕 de《ド》 〔the'《テエ》〕.」(だがあの人達に言つて聞かせて下さいよ。わたしがあの人達に遣るのは、蝋燭代ではありません。あの人達が一しよにお茶を飲むやうにと思ふのです。)
「お茶だ、お茶だ。Pour《プウル》 vous《ヴウ》, mon《モン》 vieux《ヰヨオ》.」(お前にだよ。爺いさん)かう言ひ足して、フランス人は笑つて、手袋を嵌めた右の手で、セルギウスの肩を叩いた。
「あなたには神様が報をなさりませう。」セルギウスは帽子を手に持て禿た頭を地まで下げて礼をした。
 セルギウスの為めには、此出会が特別に嬉しかつた。どの位人の思はくを構はずにゐる事が出来るか験して見たのだと思つたからである。セルギウスは人のくれた二十コペエケンを受け取つて仲間の盲人に遣つた。人の思はくを顧みぬやうになればなる程、神の存在を感ずる事が出来て来るのである。
 セルギウスは八箇月の間村から村へさまよつた。九箇月目に或る県の町に出て、合宿所に泊まつてゐると、巡査が来て、旅行券の無い男だと云ふので、外の巡礼仲間と一しよに拘引した。「お前は誰だ。旅行券はないか」と問へば、「わたくしは神の奴僕でございます。旅行券はありません」と答へる。
 セルギウスは無籍者として処分せられて、シベリアへ遣られた。
 シベリアに着いて、セルギウスは或る富有な百姓の地所に住む事になつた。主人の菜園を作つて、旁《かたはら》主人の子供に読書《よみかき》を教へたり、その家の病人を介抱したりしてゐた。
[#天から2字下げ](一八九〇、一八九一、一八九八作〇一九一三訳)



底本:「鴎外選集 第14巻」岩波書店
   1979(昭和54)年12月19日
初出:「文藝倶楽部 一九ノ一二」
   1913(大正2)年9月1日
入力:tatsuki
校正:浅原庸子
2001年12月7日公開
2006年5月6日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全29ページ中29ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング