カルロネはユリアと婚礼をした。二人共長生をして、センツアマニの一族は今でも栄えてゐる。」
 漁師は黙つて、烟管を強く吸つた。
 兵卒は小声で云つた。「その話はわたしは好かないね。そのカルロネと云ふ男は野蛮で、ひどく馬鹿だ。」
「ふん。今から百年立つて見たら、お前方のする事も馬鹿に見えるだらうて。それはお前方のやうな人達が此世界に生きてゐたと云ふことを、人が覚えてゐてくれた上の話だが。」漁師はかう云つて、深く物を考へるらしく、白い烟の輪を闇の中に吹いた。
 又さつきの所にぴちや/\云ふ水の音がした。さつきより大きい、急な音である。漁師は肩掛の巾《きれ》を脱ぎ棄てた。そしてすばやく立ち上がつて、その儘見えなくなつた。岸の際《きは》丈|魚《うを》の鱗を蒔き散らしたやうに、ちら/\明るく光つてゐる、黒い海の水が、今まで話をしてゐた老人を呑んでしまつたかと思はれるやうに。

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(これは作者が故郷を離れて、カプリの島にさすらつてから、始めて書いた短篇である。題号はイタリア語で無手《むしゆ》の義、即ち手ん坊である。漁師の物語の後半には誤脱があるらしいが、善本を得ないので、その儘
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