の接触を免かれて、さういふところでは一種特別な生活が行はれてゐるのではあるまいかと思ふ。真成なる有《いう》といふものがあるとすれば、それに必要な条件が、かういふところで、現実的に、完全に備はつてゐるのではあるまいか。もし物に感じ易い霊のある人がゐて、有用無用の問題をとうとう断絶してしまつて、無条件に自然の豊富に己を委ねてしまつたら、かういふ棚や箱が、限なく尊いエリシオンの原野になるのではあるまいか。
己はかういふものを楽んで見るのが縁になつて、色々自分の為めになる交際を結ぶことが出来た。中にも己は或る古い、銀の煙草入れと近附きになつた。その煙草入れには、アレクサンドロス大帝が印度王ポロスを征服した戦争の図が、極めて細密に彫り附てあつたのである。この煙草入れが、先頃日の暮れ方の薄明りに、心持の幽玄になつた時、親切にも或る話をして聞かせてくれた。その話は人に物の哀を感ぜさせ、興味を催させ、道義の念を感発せしむる節《ふし》の頗る多い話であつた。己はその話をこゝに書かずにはゐられない。これはその話を聞いて、実際さうであつたかと信ずる事の出来る程、夢見心になることの好な人に読ませる為めに書くの
前へ
次へ
全25ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング