よそしい話を交へながら、音楽家の方からは不思議な、少し気違ひ染みた目附きをして女を見てゐた。女はわざと伏目になつたが、燃えるやうな目で見詰めてゐられる内に、押さへ付けるやうな熱のある、名状すべからざる感じが、女の胸の底から湧き上がつて来た。
 公爵に勧められて、音楽家は演奏し始めた。それを聞いてゐるクサンチスの心持は、不思議な、目に見えない手が自分の髪を掴んで、種々の印象がからくりのやうに旋《めぐ》つて現はれる世界を、引き摩り廻すかと思ふやうであつた。
 折々公爵は、音楽の或る一節を、程好く褒めて、クサンチスの方へ顔を俯向けて、その一節に就いて自分の思つてゐる事を説明した。併し黙つて、魅せられたやうになつて音楽を聴いてゐる女の耳には、公爵の云ふ事は一|言《ごん》も聞えなかつた。その癖音楽家の目は、女に或る新しい理解を教へてゐる。女はこの目を見て、始めて沈鬱の酔《ゑひ》といふものを覚えたのである。
 音楽家の家を出るや否やクサンチスは公爵に暇乞をした。我慢の出来ない程の偏頭痛がすると云つてひどく無作法に暇乞をしたのである。そして自分の台の上に帰つて行つた。
 今迄知らない感覚がクサンチスを悩ましてゐる。
 独り離れてゐて、女は胸の奥深い処から、音楽家の肖像を取り出して、目の前の闇をバツクグラウンドにして、空中に画いてゐる。蒼白い、広い額の下に、深く窪んだ目があつて、その目から時々焔が迸り出る。口は大きく、熱情と沈鬱とをあらはしてゐる。開いた領飾《えりかざり》の間から、半分露はれてゐる頸は、劇しい感情の為めに波立ち、欷歔《すゝりなき》の為めに張つてゐる。先づこんな美しい顔である。
 クサンチスは翌日公爵に逢つた時、大層好い青年に引き合せて貰つて難有いと云つて、感謝した。それから後は、この女は自分の生涯が今迄よりひどく面白くなつたやうに思つてゐるのである。
 昼の間は公爵を相手にして、所々《しよ/\》を訪問したり、散歩をしたりしてゐる。そして夕方になると、急いで大理石の頭の処へ行く。マドリガルやエピグラムのきらめきに、昼の間《ま》を遊び暮して、草臥《くたび》れた跡で、それとは様子の変つた、彼の青年との交際を楽む事にしてゐる。青年と一しよにゐる心持は、加減の好い湯に這入つて温まるやうである。
 青年の家に駈け付けて行くと、駈けた為めに、まだ興奮して、戦慄してゐる体を、青年は
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