候。又仮令動物園に行き候ともフリツチイが逃げ去ることなくば何事もなかりしなる可く、フリツチイが逃げ去り、妻が其身の上を心配せしは実に此不幸の原因に候。事実は斯の如くに候。斯く詳細に此事を書き遺し候は、只事実の真相を明かにせむとするに外ならず候。若し小生にして此手紙を認めずは、世の人は小生を誤解し、彼男は妻に欺かれて怒り、自殺せしなどと申さむも計り難く候。否々、世の人よ、小生の妻は貞操を守り居り、小生の子は飽迄も小生の子に相違なく候。而して此妻子をば小生最後の息を引取るまで愛し居候。只小生をして一命を捨てしむるに至りしは、世の人の愚にして、根性悪しきが為に候。小生の生存し居る限は、如何に学術的に此事実を証明せむとするも、世人は嘲罵の声を断たざる可く、仮令面前にては小生の言葉に首肯《しゆこう》すとも、背後に於いては矢張り嘲笑し、遂にはタアマイエル発狂せりとまで申すに至ることと存じ候。只今自殺する上は、世の人の斯の如き讒誣《ざんふ》は最早行れざる可く、妻の為にも十分名誉を恢復するに足るならむと存じ候。世の人も真逆に小生の一死に対して、此上妻を嘲笑する如き事は有之まじく、彼ハンベルヒ、ヘリオド
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