るのである。殊《こと》に縁の遠い物、何の関係もないような物を藉《か》りて来て或物を説明して、聴く人がはっと思って会得するというような事が多い。Schopenhauer は新聞の雑報のような世間話を材料帳に留《と》めて置いて、自己の哲学の材料にしたそうだが、金井君は何をでも哲学史の材料にする。真面目《まじめ》な講義の中で、その頃青年の読んでいる小説なんぞを引いて説明するので、学生がびっくりすることがある。
小説は沢山読む。新聞や雑誌を見るときは、議論なんぞは見ないで、小説を読む。しかし若《も》し何と思って読むかということを作者が知ったら、作者は憤慨するだろう。芸術品として見るのではない。金井君は芸術品には非常に高い要求をしているから、そこいら中にある小説はこの要求を充たすに足りない。金井君には、作者がどういう心理的状態で書いているかということが面白いのである。それだから金井君の為めには、作者が悲しいとか悲壮なとかいう積《つもり》で書いているものが、極《きわめ》て滑稽《こっけい》に感ぜられたり、作者が滑稽の積で書いているものが、却《かえっ》て悲しかったりする。
金井君も何か書いて見たい
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