でいるのは不思議である。僕の例の美しい夢の中で、若しやこの娘は、僕が小菅へ往復する人力車を留めて、話をし掛けるのを待っているのではあるまいかとさえ思ったこともある。しかしまさか現《うつつ》の意識でそれを信ずる程の詩人にもなれなかった。余程年が立ってから、僕は偶然この娘の正体を聞いた。この娘はじきあの近所の寺の住職が為送《しおくり》をしていたのであった。
つまらない話の序《ついで》に、も一つ同じようなのを話そう。お父様の住まってお出《いで》になる、小菅の官舎の隣に十三ばかりの娘がある。それが琴の稽古をしている。師匠は下谷の杉勢というのであるが、遠方の事だから、いつも代稽古の娘が来る。お母様が聞いていらっしゃるに、隣の娘が弾《ひ》いても、代稽古に来る娘が弾いても、余り好い音《ね》がしたことはない。それが或日まるで変った音がした。言って見れば、今までのが寝惚《ねぼ》けた音なら、今度のは目の醒《さ》めた音である。お母様が隣の奥さんにその事を話すと、あれは琴を商売にしている人ではない。杉勢の弟子で、五軒町に住んでいる娘である。代稽古に来る娘が病気なので、好意で来てくれたということであった。そのうちその琴の上手な娘が、お母様に褒《ほ》められたのを聞いて、それではいつか往って弾いて聞かせようと云った。
それから折々内に寄るので、僕が休日に帰っていて落ち合うこともある。子供の時に Hydrocephalus ででもあったかというような頭の娘で、髪が稍《や》や薄く、色が蒼《あお》くて、下瞼《したまぶた》が紫色を帯びている。性質は極勝気《ごくかちき》である。琴はいかにも virtuoso の天賦を備えている。これが若し琴を以て身を立てようとする人であったら、師匠に破門せられて、別に一流を起すという質《たち》かも知れない。
この娘が段々お母様と親密になって、話の序に、遠廻しのようで、実は頗る大胆に、僕の妻になりたいということをほのめかすのである。お母様が、倅《せがれ》も卒業すれば、是非洋行をさせねばならないが、卒業試験の点数次第で、官費で遣られるか、どうだか知れないと話すと、わたくしがお金を持っていれば、有るだけ出して学資にして戴きとうございますなどという。
お母様にもこの娘の怜悧《りこう》なのが気に入る。そこで身元などを問い合わせて見られる。このお麗《れい》さんという娘は可なり
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