その時番所址の家の中で、じいさんの声がした。
「こりい。それう持ってわやくをしちゃあいけんちゅうのに」
僕はふいと立ち留って声のする方を見た。じいさんは胡坐《あぐら》をかいて草鞋《わらじ》を作っている。今叱ったのは、子供が藁《わら》を打つ槌《つち》を持ち出そうとしたからである。子供は槌を措《お》いておれの方を見た。じいさんもおれの方を見た。濃い褐色の皺《しわ》の寄った顔で、曲った鼻が高く、頬がこけている。目はぎょろっとしていて、白目の裡《うち》に赤い処や黄いろい処がある。じいさんが僕にこう云った。
「坊様。あんたあお父《とっ》さまとおっ母《か》さまと夜何をするか知っておりんさるかあ。あんたあ寐坊《ねぼう》じゃけえ知りんさるまあ。あははは」
じいさんの笑う顔は実に恐ろしい顔である。子供も一しょになって、顔をくしゃくしゃにして笑うのである。
僕は返事をせずに、逃げるように通り過ぎた。跡にはまだじいさんと子供との笑う声がしていた。
道々じいさんの云った事を考えた。男と女とが夫婦になっていれば、その間に子供が出来るということは知っている。しかしどうして出来るか分らない。じいさんの言った事はその辺に関しているらしい。その辺になんだか秘密が伏在しているらしいと、こんな風に考えた。
秘密が知りたいと思っても、じいさんの言うように、夜目を醒《さ》ましていて、お父様やお母様を監視せようなどとは思わない。じいさんがそんな事を言ったのは、子供の心にも、profanation である、褻※[#「※」は「さんずいに士に買」、15−9]《せつとく》であるというように感ずる。お社の御簾《みす》の中へ土足で踏み込めといわれたと同じように感ずる。そしてそんな事を言ったじいさんが非道く憎いのである。
こんな考はその後木戸を通る度に起った。しかし子供の意識は断えず応接に遑《いとま》あらざる程の新事実に襲われているのであるから、長く続けてそんな事を考えていることは出来ない。内に帰っている時なんぞは、大抵そんな事は忘れているのであった。
*
十《とお》になった。
お父様が少しずつ英語を教えて下さることになった。
内を東京へ引き越すようになるかも知れないという話がおりおりある。そんな話のある時、聞耳を立てると、お母様が余所《よそ》の人に言うなと仰《おっし》ゃる。お父様は、若し
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