しと、官員がほしていいしを、痛《いた》く責《せ》めしに、後には何事をいいても、いらえせずなりぬ。これとはうらうえなるは、松井田にて西洋人の乗《の》りしとき、車丁の荷物《にもつ》を持ちはこびたると、松井田より本庄まで汽車《きしゃ》のかよわぬ軌道を、洋服きたる人の妻子婢妾にとおらせ、猶|飽《あ》きたらでか、これを空《あ》きたる荷積汽車にのせて人に推《お》させたるなどなりき。渾《すべ》てこの旅の間に、洋服の勢力《せいりょく》あるを見しこと、幾度か知られず。茶店、旅宿などにても、極上等の座敷《ざしき》のたたみは洋服ならでは踏《ふ》みがたく、洋服着たる人は、後に来りて先ず飲食《いんしょく》することをも得つべし。茶代《ちゃだい》の多少などは第二段の論にて、最大大切なるは、服の和洋なり。旅《たび》せんものは心得置くべきことなり。されど奢《おご》るは益なし、洋服にてだにあらば、帆木綿《ほもめん》にてもよからん。白き上衣の、腋《わき》の下早や黄ばみたるを着たる人も、新しき浴衣《ゆかた》着たる人よりは崇《たっと》ばるるを見ぬ。
底本:「日本の名随筆15 旅」作品社
1983(昭和58)年9月2
前へ
次へ
全21ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング