ってみずからおったこともなく、歴史家をもってみずから任じたこともない。ただ、暫留《ざんりゅう》の地がたまたま田園なりしゆえに耕し、たまたま水涯なりしゆえに釣ったごときものである。つづめていえばわたくしは終始ヂレッタンチスムをもって人に知られた。
歳計をなすものに中為切《なかじきり》ということがある。わたくしはこの数行を書して一生の中為切とする。しかし中為切があるいはすなわち総勘定であるかも知れない。少くも官歴より観れば、総勘定もまたかくのごときにすぎない。
これが過去である。そして現在はなにをしているか。
わたくしはなにもしていない。一閑人として生存している。しかし人間はウェジェタチイフにのみ生くること能わざるものである。人間は生きている限りは思量する。閑人が往々|棋《ご》を囲みかるたをもてあそぶゆえんである。
あますところの問題はわたくしが思量の小児にいかなる玩具《おもちゃ》を授けているかというにある。ここにその玩具を検してみようか。わたくしは書を読んでいる。それが支那《しな》の古書であるのは、いま西洋の書が獲《え》がたくして、そのたまたま獲《う》べきものがみな戦争をいうがゆえである。これはレセプチイフの一面である。他のプロドュクチイフの一面においては、かの文士としての生涯の惰力が、わずかに抒情詩と歴史との部分に遺残してウィタ、ミニマを営んでいる。
わたくしは詩を作り歌を詠《よ》む。彼は知人の采録《さいろく》するところとなって時々《じじ》世間に出るが、これは友人某に示すにすぎない。前にアルシャイスムとして排した詩、いまの思想を容るるに足らずとして排した歌を、何故になお作り試みるか。他無し、未だ依るべき新たなる形式を得ざるゆえである。これが抒情詩である。
わたくしは叙実の文を作る。新聞紙のために古人の伝記を草するのも人の請うがままに碑文を作るのも、ここに属する。何故に現在の思量が伝記をしてジェネアロジックの方向を取らしめているかは、未だまったくみずから明かにせざるところで、上《かみ》にいった自然科学の影響のごときは、少くも動機の全部ではなさそうである。趙翼《ちょうよく》は魏収《ぎしゅう》をそしって「代人作家譜《ひとにかわってかふをつくる》」といった。しかしわたくしの伝記を作るのと、支那人が史を修めたのとは、その動機に同じからざるものがあるかとおもう。碑文
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