なかじきり
森鴎外

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)老大免左遷《ろうだいさせんをまぬがる》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)往々|棋《ご》を囲み

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「女+(合/廾)」、497−上−7]
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 老いはようやく身に迫ってくる。
 前途に希望の光が薄らぐとともに、みずから背後の影をかえりみるは人の常情である。人は老いてレトロスペクチイフの境界に入る。
 わたくしは医を学んで仕えた。しかしかつて医として社会の問題に上ったことはない。「※[#「女+(合/廾)」、497−上−7]※[#「阿/女」、497−上−7]雕朽木《えんあきゅうぼくをえり》、老大免左遷《ろうだいさせんをまぬがる》」の句がある。
 わたくしの多少社会に認められたのは文士としての生涯である。抒情詩においては、和歌の形式がいまの思想を容《い》るるに足らざるをおもい、また詩が到底アルシャイスムを脱しがたく、国民文学として立つゆえんにあらざるをいったので、款《かん》を新詩社とあららぎ派とに通じて国風新興を夢みた。小説においては、済勝《せいしょう》の足ならしに短篇数十を作り試みたが、長篇の山口にたどりついて挫折《ざせつ》した。戯曲においては、同じ足ならしの一幕物若干が成ったのみで、三幕以上の作はいたずらに見放《みさ》くる山たるにとどまった。哲学においては医者であったために自然科学の統一するところなきに惑い、ハルトマンの無意識哲学に仮りの足場を求めた。おそらくは幼いときに聞いた宋儒理気《そうじゅりき》の説が、かすかなレミニスサンスとして心の底に残っていて、針路をショオペンハウエルの流派に引きつけたのであろうか。しかし哲学者として立言するには至らなかった。歴史においては、初め手を下すことを予期せぬ境であったのに、経歴と遭遇《そうぐう》とが人のために伝記を作らしむるに至った。そしてその体裁《ていさい》をして荒涼なるジェネアロジックの方向を取らしめたのは、あるいはかのゾラにルゴン・マカアルの血統を追尋させた自然科学の余勢でもあろうか。
 しかるにわたくしには初めより自己が文士である、芸術家であるという覚悟はなかった。また哲学者をも
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