ば好いといふ、それでは姉《ねえ》さんほんのお茶番なのねえ、三十分もゐたら好《い》いのでせうか、ああ好いどこぢやあなくつてよ、だが皺《しわ》になるといけないからこの浴衣《ゆかた》だけはお着なさいよ、私も着かへるからと扱《しごき》ばかりになれば、清二郎は羽織《はおり》を脱ぎながら私やあ急いで来たせゐか、先刻《さっき》から咽《のど》が乾いてなりませぬ、ラムネが貰《もら》へるなら姉さん下へさういつて下されといふ故兼吉すぐに廊下に出て降口《おりぐち》より誂《あつら》へるを、かの六畳からお万が見ゐたり、二人は一間に籠りゐて、ラムネの来《こ》しをば兼吉が取入れつつ、暫しありて清二郎は湯にとて降りて復《ま》た来《きた》らず、雨は夜《よ》の間《ま》に上《あが》りしその翌日《あくるひ》の夕暮、荻江《おぎえ》が家の窓の下に風鈴《ふうりん》と共に黙《だんまり》の小花、文子の口より今朝聞きし座敷の様子|訝《いぶか》しく、清さんが朝倉の帰に寄らざりしを思ひ合せて、塞《ふさ》ぎながら湯に往《ゆ》きたるに、聞けば胸のみ騒がるるお万があの詞《ことば》の端々《はしばし》、兼吉さんが扱《しごき》ばかりで廊下に出たのを見たとは真《まこと》か、清さんに限つてはと思ふはやはり私の慾目、先刻お仕舞してゐるとき二階の笑声を何事ぞと問ひしに、お浅さんの立ちながらいはれしは、一足先に兼吉さんが来て、内の文子と遊びに来てゐた梅子とを二階へ連《つれ》て行き、踊を浚《さら》つて遣るとの事とか、私に対して昨日から何事もないかのやうに、その気の軽さがいよいよ憎い、下りて来たならどう言はうか、先《さき》からはまたどう言ふつもりか、所詮|内気《うちき》なこの身には過ぎた相手ととつおいつ、思案もまだ極まらぬ時、ばたばたと梯《はしご》降り来し梅子文子は息を切らせて、小花ねえさんに梅子さんの甚五郎《じんごろう》が見せたくつてよ、いいえ文子さんこそ人形のくせに笑つてばかしゐましたといふ後より兼吉も下りて、本当に今日の暑い事ねえと何気なけれど、さうねえといつたきり俯向《うつむ》いて済まぬ顔、文子は急に思ひ出して、さうさう先刻からラムネが冷やしてあつてよ、兼吉ねえさんに上げようやと、何心なく持つて来たるサイフォンの瓶《びん》にコップ三つ四つ、先づ兼吉に注《つ》いで出すを、小花|側《そば》よりぢつと見て、ねえさんラムネが好《すき》ねと声震はせじとやうやういふに、大好《だいすき》よと無頓着なる返辞、ええ悔《く》やしいと反《そ》りかへつて正体なし、その夜座敷を断りて臥《ふ》しゐたる小花の許《もと》へ、つひになきこと目と鼻の間に住む兼吉が文届《ふみとど》きぬ、しかもその長々しさは一本の巻紙皆にせしかと思ふばかり、痛む頭を擡《もた》げし小花が虫を押へて拾読《ひろいよみ》するその文に曰《いわ》く、一筆《ひとふで》しめし上参《あげまい》らせ候《そろ》、今は何事をも包まず打ち明けて申上げ候ふ故、憎い兼吉がためとお思なく可哀い清さんのためと御読分《およみわけ》下されたく候、申すも御恥かしき事ながら、お前様といふものある清さんに年上なる身をも恥ぢず思を掛け、出来ぬこと済まぬことと堪《こら》へれば堪へるほど夢現《ゆめうつつ》の境も弁《わきま》へず焦《こが》れ候ふはいかなる因果《いんが》か、これは久しき前よりの事に候へども、御存じの通の私が身持、昨日《きのう》は誰|今日《きょう》は誰と浮名《うきな》の立つを何とも思はず、つひこの頃までも親方と私との中は知らぬ人なき位に候ふ事とて、お前様にも清さんにも覚《さと》られ候こともなく打ち過ぎ候ふに、昨日|三谷《さんや》さんのお座敷にて、ふとした常談に枝葉《えだは》がさき、清さんを呼んで下され、呼んで遣らうといはれた時の嬉しさいかばかりぞ、これのみは御自分の身に引《ひ》き比《くら》べお察し下されたく候、さて床の展《の》べあり候|間《ま》に清さんと這入《はい》り候時の私の心は、ただただ夢の如くにて自分にもかうかうとはつきり分りをらず候へども掻《か》い撮《つま》んで申し候へば、まことにまことに卑しく汚《けがら》はしく筆に書き候も恥かしき次第、お前様といふものある清さんとこのやうな身持の私が、すなほに彼此《かれこれ》申し候とも願の※[#「りっしんべん+(匚<夾)」、第3水準1−84−56]《かな》ふはずなければ、何事も三谷さんの酒の上から出た戯《たわぶれ》のやうに取成《とりな》し、一しよにさへ寝たならば、なんぼ実があるとて、まだ年若な清さん、私はこんなお多福《たふく》でも側にゐられて気持の悪くなるほどの女でもある間敷《まじく》、つひ手が障《さわ》り足が障るといふやうな事にならば、その上で言ひたい事をも申すべしと存じ候《そうら》ひしには違《ちがい》なく、かやうな悪しき心を持ち候ひし事、今更申すも恥しく候、さて女の性《しょう》は悪しきものと我ながら驚き候は、大人《おとな》しく横になつてゐた清さんの領《えり》へ私が手を遣《や》りし事に候、その時に清さんは身を縮めてぶるぶると震ひなされ候、女の肌知らぬ人といふではなし、可笑《おか》しな事申すやうではあれど色々の男と寝たことある私、つひにない事、はつと思つて手を引き候とたん何とも申さうやうのない心持《ここち》致し、それまで燃え立つやうに覚え候ふ胸の直様《すぐさま》水を浴《あび》せられ候ふやうになり、ふつつりと思ひ切つて清さんにはその手をさへ常談の体《てい》に申しくろめ、三谷さんの手前湯にといはせて返し候へば、清さんは何ともお思ひなさるまじく飛んだ隙潰《ひまつぶ》しをしたなどと申しをられ候ふ事と存じ候、この始末後にて考へ候ふに、私に罰《ばち》でも当つたのかお前様の念《おもい》が通つてゐたのか、拙《つたな》き心には何とも弁《わきま》へがたく候、この文差上げ候ふ私の心お前様に熟《よ》く分り候はんや覚束《おぼつか》なく候へども、先ほど申し候ふ通《とおり》それはどうでも宜《よろ》しく、ただお前様が清さんを大事にしてさへお上げなされ候はば、私の願もその外《ほか》にはござなく候、返す返すも羨《うらや》ましきは清さんのやうな人をお持なされ候ふお前様の身の上にて、たとひどのやうに憂《う》いつらいと思ふ事ありとも、その憂いつらいは頼《たのみ》になる清さんのやうな優しい人を持たぬものの憂さつらさに比べては何でもないと、よくよく御勘弁なさるべく候、また私の事はこの上未練がましく申したくはなく候へども、今までも不身持な女子《おなご》のこの末はどうなり申すべきか、我身で我身が分り申さず、どうして私はかうなつたやら、どうして私はどうならうか知れぬやら、それはお前様に申しても甲斐《かい》なき事と致し候うて、ここに一つ申し置き候ふは、もし少しにてもこの文の心|御解《おわかり》なされ候はば、昨夕罪のない清さんを罪に堕《おと》さなかつたのは兼吉だ、よしや兼吉が心から罪に堕すまいと思つてではないにしても、罪に堕すことの出来ぬやうな何とも知れぬ心に兼吉はなることがあつたといふ事ばかりに候、この後清さんには指もさすまいと思ふ私に候へば、つひ何事もなかつたやうに御附合のほど祈り入り参らせ候かしく、なほなほこの手紙|御取棄《おんとりすて》なされ候ふとも、清さんになり誰になりお見せなされ候ふとも宜しく候、小花様へ兼吉よりとはさてさて珍しき一通、何処《どこ》が嬉しくてか小花身に添へて離さず、中屋の家督に松太郎《まつたろう》が直《なお》りし時、得意先多き清二郎は本所辺に別宅《べったく》を設けての通《かよ》ひ勤《づとめ》、何遍《なんべん》言うてもあの女でない女房は生涯持ちませぬとの熱心に、物固い親類さへ折り合ひて、小花を嫁に取引先なる、木綿問屋の三谷が媒《なかだち》したとか、兼吉はまたけふが日まで、河岸《かし》を変へての浮気勤《うわきづとめ》、寝て見ぬ男は誰様の外なしと、書かば大不敬にも坐せられるべきこといひて、馴染《なじみ》ならぬ客には胆《きも》潰《つぶ》させることあれど、芸者といふはかうしたものと贔屓《ひいき》する人に望まれて、今も歌ふは当初《そのむかし》露友《ろゆう》が未亡人《ごけ》なる荻江《おぎえ》のお幾が、かの朝倉での行違《ゆきちがい》を、老《おい》のすさびに聯《つら》ねた一|節《ふし》、三下《さんさが》り、雨の日を二度の迎に唯だ往き返り那加屋好《なかやごのみ》の濡浴衣《ぬれゆかた》慥《たし》か模様は染違《そめちがえ》。



底本:「舞姫・うたかたの記 他三篇」岩波文庫、岩波書店
   1981(昭和56)年1月16日第1刷発行
   1991(平成3)年5月15日第19刷発行
底本の親本:「鴎外全集 第三巻」岩波書店
   1972(昭和47)年1月刊
初出:「新小説」
   1897(明治30)年8月5日
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2006年3月25日作成
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