とやうやういふに、大好《だいすき》よと無頓着なる返辞、ええ悔《く》やしいと反《そ》りかへつて正体なし、その夜座敷を断りて臥《ふ》しゐたる小花の許《もと》へ、つひになきこと目と鼻の間に住む兼吉が文届《ふみとど》きぬ、しかもその長々しさは一本の巻紙皆にせしかと思ふばかり、痛む頭を擡《もた》げし小花が虫を押へて拾読《ひろいよみ》するその文に曰《いわ》く、一筆《ひとふで》しめし上参《あげまい》らせ候《そろ》、今は何事をも包まず打ち明けて申上げ候ふ故、憎い兼吉がためとお思なく可哀い清さんのためと御読分《およみわけ》下されたく候、申すも御恥かしき事ながら、お前様といふものある清さんに年上なる身をも恥ぢず思を掛け、出来ぬこと済まぬことと堪《こら》へれば堪へるほど夢現《ゆめうつつ》の境も弁《わきま》へず焦《こが》れ候ふはいかなる因果《いんが》か、これは久しき前よりの事に候へども、御存じの通の私が身持、昨日《きのう》は誰|今日《きょう》は誰と浮名《うきな》の立つを何とも思はず、つひこの頃までも親方と私との中は知らぬ人なき位に候ふ事とて、お前様にも清さんにも覚《さと》られ候こともなく打ち過ぎ候ふに、昨日|
前へ 次へ
全18ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング