をやけに掻き、それもこれも私がいつもののんきで、気が付かずにゐたからの事、人を恨むには当りませぬと、長火鉢《ながひばち》の前に煙草《タバコ》喫《の》みゐるお上《かみ》に暇乞《いとまごい》して帰らんとする、代地に名うての待合《まちあい》朝倉《あさくら》の戸口を開けて、つと入り来るは四十近いでつぷり太つた男、白の縞上布《しまじょうふ》の帷子《かたびら》の襟《えり》寛《くつろ》げて、寄道《よりみち》したお蔭にこの悪い道を歩かせられしため暑さも一入《ひとしお》なり、悪いといへば兼吉つあんの顔色の悪さ、一通りの事ではなささうなり、今から帰るでもあるまじ、不肖《ふしょう》して己《おれ》に附き合ひ喫み直してはと遠慮なき勧《すすめ》に、お上《かみ》が指図して案内《あない》さするは二階の六畳、三谷《さんや》さんなればと返事待つまでもなくお万《まん》に口を掛け、暫《しばら》くは差向《さしむかい》にて、聞けば塞《ふさ》ぐも無理ならず、昨夕は御存じの親方呼びに遣《や》りしに、詰らぬ行掛りの末|縺《もつ》れて、何《なに》、人《ひと》を、そんなつひ通《とおり》の分疏《いいわけ》を聞くあたいだとお思ひか、帰るならお
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