衛門さんの兄きが出て来て這入るのだと云うことである。
四月五日に、まだ壁が乾き切らぬと云うのに、果して見知らぬ爺《じ》いさんが小さい荷物を持って、宮重方に著《つ》いて、すぐに隠居所に這入った。久右衛門は胡麻塩頭《ごましおあたま》をしているのに、この爺いさんは髪が真白である。それでも腰などは少しも曲がっていない。結構な拵《こしらえ》の両刀を挿《さ》した姿がなかなか立派である。どう見ても田舎者らしくはない。
爺いさんが隠居所に這入ってから二三日立つと、そこへ婆《ば》あさんが一人来て同居した。それも真白な髪を小さい丸髷《まるまげ》に結《い》っていて、爺いさんに負けぬように品格が好い。それまでは久右衛門方の勝手から膳を運んでいたのに、婆あさんが来て、爺いさんと自分との食べる物を、子供がまま事をするような工合に拵えることになった。
この翁媼《おうおん》二人の中の好いことは無類である。近所のものは、若《も》しあれが若い男女であったら、どうも平気で見ていることが出来まいなどと云った。中には、あれは夫婦ではあるまい、兄妹《きょうだい》だろうと云うものもあった。その理由とする所を聞けば、あの二人は
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