、な態度に出るのを見て、歯痒《はがゆ》いようにも思い、又気の毒だから、いたわって、手を出させずに置かなくてはならないようにも思う。父が箱の蓋を取って見て、白昼に鬼を見て、毒でもなんでもない物を毒だと思って怖《おそ》れるよりは、箱の内容を疑わせて置くのが、まだしもの事かと思う。
 秀麿のこう思うのも無理は無い。明敏な父の子爵は秀麿がハルナックの事を書いた手紙を見て、それに対する返信を控えて置いた後に、寝られぬ夜《よ》などには度々宗教問題を頭の中で繰り返して見た。そして思えば思う程、この問題は手の附けられぬものだと云う意見に傾いて、随《したが》ってそれに手を著けるのを危険だとみるようになった。そこでとにかく倅《せがれ》にそんな問題に深入をさせたくない。なろう事なら、倅の思想が他の方面に向くようにしたい。そう思うので、自分からは宗教問題の事などは決して言い出さない。そしてこの問題が倅の頭にどれだけの根を卸しているかとあやぶんで、窃《ひそか》に様子を覗《うかが》うようにしているのである。
 秀麿と父との対話が、ヨオロッパから帰って、もう一年にもなるのに、とかく対陣している両軍が、双方から斥候《せっこう》を出して、その斥候が敵の影を認める度に、遠方から射撃して還《かえ》るように、はかばかしい衝突もせぬ代りに、平和に打ち明けることもなくているのは、こう云うわけである。
 秀麿の銜《くわ》えている葉巻の白い灰が、だいぶ長くなって持っていたのが、とうとう折れて、運動椅子に倚《よ》り掛かっている秀麿のチョッキの上に、細い鱗《うろこ》のような破片を留《と》めて、絨緞《じゅうたん》の上に落ちて砕けた。今のように何もせずにいると、秀麿はいつも内には事業の圧迫と云うような物を受け、外には家庭の空気の或る緊張を覚えて、不快である。
 秀麿は「又本を読むかな」と思った。兼ねて生涯の事業にしようと企てた本国の歴史を書くことは、どうも神話と歴史との限界をはっきりさせずには手が著けられない。寧《むし》ろ先《ま》ず神話の結成を学問上に綺麗に洗い上げて、それに伴う信仰を、教義史体にはっきり書き、その信仰を司祭的に取り扱った機関を寺院史体にはっきり書く方が好さそうだ。そうしたってプロテスタント教がその教義史と寺院史とで毀損《きそん》せられないと同じ事で、祖先崇拝の教義や機関も、特にそのために危害を受ける筈《はず》はない。これだけの事を完成するのは、極《きわめ》て容易だと思うと、もうその平明な、小ざっぱりした記載を目の前に見るような気がする。それが済んだら、安心して歴史に取り掛られるだろう。しかしそれを敢《あえ》てする事、その目に見えている物を手に取る事を、どうしても周囲の事情が許しそうにないと云う認識は、ベルリンでそろそろ故郷へ帰る支度に手を著け始めた頃から、段々に、或る液体の中に浮んだ一点の塵《ちり》を中心にして、結晶が出来て、それが大きくなるように、秀麿の意識の上に形づくられた。これが秀麿の脳髄の中に蟠結《はんけつ》している暗黒な塊で、秀麿の企てている事業は、この塊に礙《さまた》げられて、どうしても発展させるわけにいかないのである。それで秀麿は製作的方面の脈管を総て塞《ふさ》いで、思量の体操として本だけ読んでいる。本を読み出すと、秀麿は不思議に精神をそこに集注することが出来て、事業の圧迫を感ぜず、家庭の空気の緊張をも感ぜないでいる。それで本ばかり読んでいることになるのである。
「又本を読むかな」と秀麿は思った。そして運動椅子から身を起した。
 丁度その時こつこつと戸を叩いて、秀麿の返事をするのを待って、雪が這入って来た。小さい顔に、くりくりした、漆のように黒い目を光らして、小さくて鋭く高い鼻が少し仰向《あおむ》いているのが、ひどく可哀らしい。秀麿が帰った当座、雪はまだ西洋室で用をしたことがなかったので、開けた戸を、内からしゃがんで締めて、絨緞の上に手を衝いて物を言った。秀麿は驚いて、笑顔をして西洋室での行儀を教えて遣った。なんでも一度言って聞せると、しっかり覚えて、その次の度《たび》からは慣れたもののようにするのである。
 煖炉を背にして立って、戸口を這入った雪を見た秀麿の顔は晴やかになった。エロチックの方面の生活のまるで瞑《ねむ》っている秀麿が、平和ではあっても陰気なこの家で、心から爽快《そうかい》を覚えるのは、この小さい小間使を見る時ばかりだと云っても好い位である。
「綾小路《あやこうじ》さんがいらっしゃいました」と、雪は籠《かご》の中の小鳥が人を見るように、くりくりした目の瞳《ひとみ》を秀麿の顔に向けて云った。雪は若檀那《わかだんな》様に物を言う機会が生ずる度に、胸の中で凱歌《がいか》の声が起る程、無意味に、何の欲望もなく、秀麿を崇拝しているのである。
 この時雪の締めて置いた戸を、廊下の方からあらあらしく開けて、茶の天鵞絨《びろうど》の服を着た、秀麿と同年位の男が、駆け込むように這入って来て、いきなり雪の肩を、太った赤い手で押えた。「おい、雪。若檀那の顔ばかり見ていて、取次をするのを忘れては困るじゃないか。」
 雪の顔は真っ赤になった。そして逃げるように、黙って部屋を出て行った。綾小路の方は振り返ってもみなかったのである。
 秀麿の眉間《みけん》には、注意して見なくては見えない程の皺《しわ》が寄ったが、それが又注意して見ても見えない程早く消えて、顔の表情は極真面目《ごくまじめ》になっている。「君つまらない笑談《じょうだん》は、僕の所でだけはよしてくれ給え。」
「劈頭《へきとう》第一に小言を食わせるなんぞは驚いたね。気持の好い天気だぜ。君の内の親玉なんぞは、秋晴《しゅうせい》とかなんとか云うのだろう。尤《もっと》もセゾンはもう冬かも知れないが、過渡時代には、冬の日になったり、秋の日になったりするのだ。きょうはまだ秋だとして置くね。どこか底の方に、ぴりっとした冬の分子が潜んでいて、夕日が沈み掛かって、かっと照るような、悲哀を帯びて爽快な処がある。まあ、年増《としま》の美人のようなものだね。こんな日に※[#「鼬」の「由」に代えて「晏」、第3水準1−94−84]鼠《もぐらもち》のようになって、内に引っ込んで、本を読んでいるのは、世界は広いが、先ず君位なものだろう。それでも机の上に俯《ふ》さっていなかっただけを、僕は褒《ほ》めて置くね。」
 秀麿は真面目ではあるが、厭《いや》がりもしないらしい顔をして、盛んに饒舌《しゃべ》り立てている綾小路の様子を見ている。簡単に言えば、この男には餓鬼《がき》大将と云う表情がある。額際《ひたいぎわ》から顱頂《ろちょう》へ掛けて、少し長めに刈った髪を真っ直に背後《うしろ》へ向けて掻《か》き上げたのが、日本画にかく野猪《いのしし》の毛のように逆立っている。細い目のちょいと下がった目尻《めじり》に、嘲笑《ちょうしょう》的な微笑を湛えて、幅広く広げた口を囲むように、左右の頬に大きい括弧《かっこ》に似た、深い皺を寄せている。
 綾小路はまだ饒舌る。「そんなに僕の顔ばかし見給うな。心中大いに僕を軽侮しているのだろう。好いじゃないか。君がロアで、僕がブッフォンか。ドイツ語でホオフナルと云うのだ。陛下の倡優《しょうゆう》を以《もっ》て遇する所か。」
 秀麿は覚えず噴き出した。「僕がそんな侮辱的な考をするものか。」
「そんなら頭からけんつくなんぞを食わせないが好い。」
「うん。僕が悪かった。」秀麿は葉巻の箱の蓋を開けて勧めながら、独語《ひとりごと》のようにつぶやいた。「僕は人の空想に毒を注《つ》ぎ込むように感じるものだから。」
「それがサンチマンタルなのだよ」と云いながら、綾小路は葉巻を取った。秀麿はマッチを摩《す》った。
「メルシイ」と云って綾小路が吸い附けた。
「暖かい所が好かろう」と云って、秀麿は椅子を一つ煖炉の前に押し遣った。
 綾小路は椅背《きはい》に手を掛けたが、すぐに据わらずに、あたりを見廻して、卓《テエブル》の上にゆうべから開けたままになっている、厚い、仮綴《かりとじ》の洋書に目を着けた。傍《かたわら》には幅の広い篦《へら》のような形をした、鼈甲《べっこう》の紙切小刀《かみきりこがたな》が置いてある。「又何か大きな物にかじり附いているね。」こう云って秀麿の顔を見ながら、腰を卸した。

     ――――――――――――――――

 綾小路は学習院を秀麿と同期で通過した男である。秀麿は大学に行くのに、綾小路は画かきになると云って、溜池《ためいけ》の洋画研究所へ通い始めた。それから秀麿がまだ文科にいるうちに、綾小路は先へ洋行して、パリイにいた。秀麿がマルセイユから上陸して、ベルリンへ行く途中で、二三日パリイに滞在していた時には、親切に世話を焼いて、シャン・ゼリゼェの散歩やら、テアアトル・フランセェとジムナアズ・ドラマチックとの芝居見物やら、時間を吝《おし》まずに案内をして歩いて、ベルリンへ行ってから著《き》る服まで誂《あつら》えさせてくれた。
 綾小路は目と耳とばかりで生活しているような男で、芸術をさえ余り真面目には取り扱っていないが、明敏な頭脳がいつも何物にか饑《う》えている。それで故郷へ帰って以来引き籠り勝にしている秀麿の方からは、尋ねても行かぬのに、折々遊びに来て、秀麿の読んでいる本の話を、口ではちゃかしながら、真面目に聞いて考えても見るのである。
 綾小路は卓の所へ歩いて行って、開けてある本の表紙を引っ繰り返して見た。「ジイ・フィロゾフィイ・デス・アルス・オップか。妙な標題だなあ。」
 そこへ雪が橢円形《だえんけい》のニッケル盆に香茶《こうちゃ》の道具を載せて持って来た。そして小さい卓を煖炉の前へ運んで、その上に盆を置いて、綾小路の方を見ぬようにしてちょいと見て、そっと部屋を出て行った。何か言われはしないだろうか。言えば又恥かしいような事を言うだろう。どんな事を言うだろう。言わせて聞いても見たいと云うような心持で雪はいたが、こん度は綾小路が黙っていた。
 秀麿は伏せてあるタッスを起して茶を注いだ。そして「牛乳を入れるのだろうな」と云って、綾小路を顧みた。
「こないだのように沢山入れないでくれ給え。一体アルス・オップとはなんだい。」こう云いながら、綾小路は煖炉の前の椅子に掛けた。
「コム・シィさ。かのようにとでも云ったら好いのだろう。妙な所を押さえて、考を押し広めて行ったものだが、不思議に僕の立場そのままを説明してくれるようで、愉快でたまらないから、とうとうゆうべは三時まで読んでいた。」
「三時まで。」綾小路は目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》った。「どうして、どこが君の立場そのままなのだ。」
「そう」と云って、秀麿は暫く考えていた。千ペエジ近い本を六七分通り読んだのだから、どんな風に要点を撮《つま》んで話したものかと考えたのである。「先ず本当だと云う詞《ことば》からして考えて掛からなくてはならないね。裁判所で証拠立てをして拵《こしら》えた判決文を事実だと云って、それを本当だとするのが、普通の意味の本当だろう。ところが、そう云う意味の事実と云うものは存在しない。事実だと云っても、人間の写象を通過した以上は、物質論者のランゲの謂《い》う湊合《そうごう》が加わっている。意識せずに詩にしている。嘘になっている。そこで今一つの意味の本当と云うものを立てなくてはならなくなる。小説は事実を本当とする意味に於《お》いては嘘だ。しかしこれは最初から事実がらないで、嘘と意識して作って、通用させている。そしてその中《うち》に性命がある。価値がある。尊い神話も同じように出来て、通用して来たのだが、あれは最初事実がっただけ違う。君のかく画も、どれ程写生したところで、実物ではない。嘘の積りでかいている。人生の性命あり、価値あるものは、皆この意識した嘘だ。第二の意味の本当はこれより外には求められない。こう云う風に本当を二つに見ることは、カントが元祖で、近頃プラグマチスムなんぞで、余程卑俗にして繰り返しているのも同じ事だ。こ
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