齧蛯フ学問に手を出した事のない子爵には、どんな物だか見当の附かぬ学科さえあるが、とにかく随分|雑駁《ざっぱく》な学問のしようをしているらしいと云う事だけは判断が出来た。しかし子爵はそれを苦にもしない。息子を大学に入れたり、洋行をさせたりしたのは、何も専門の職業がさせたいからの事ではない。追って家督相続をさせた後に、恐多いが皇室の藩屏《はんぺい》になって、身分相応な働きをして行くのに、基礎になる見識があってくれれば好い。その為《た》めに普通教育より一段上の教育を受けさせて置こうとした。だから本人の気の向く学科を、勝手に選んでさせて置いて好いと思っているのであった。
ベルリンにいる間、秀麿が学者の噂《うわさ》をしてよこした中に、エエリヒ・シュミットの文才や弁説も度々|褒《ほ》めてあったが、それよりも神学者アドルフ・ハルナックの事業や勢力がどんなものだと云うことを、繰り返してお父うさんに書いてよこしたのが、どうも特別な意味のある事らしく、帰って顔を見て、土産話《みやげばなし》にするのが待ち遠いので、手紙でお父うさんに飲み込ませたいとでも云うような熱心が文章の間に見えていた。殊《こと》に大学
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