フ時雪の締めて置いた戸を、廊下の方からあらあらしく開けて、茶の天鵞絨《びろうど》の服を着た、秀麿と同年位の男が、駆け込むように這入って来て、いきなり雪の肩を、太った赤い手で押えた。「おい、雪。若檀那の顔ばかり見ていて、取次をするのを忘れては困るじゃないか。」
雪の顔は真っ赤になった。そして逃げるように、黙って部屋を出て行った。綾小路の方は振り返ってもみなかったのである。
秀麿の眉間《みけん》には、注意して見なくては見えない程の皺《しわ》が寄ったが、それが又注意して見ても見えない程早く消えて、顔の表情は極真面目《ごくまじめ》になっている。「君つまらない笑談《じょうだん》は、僕の所でだけはよしてくれ給え。」
「劈頭《へきとう》第一に小言を食わせるなんぞは驚いたね。気持の好い天気だぜ。君の内の親玉なんぞは、秋晴《しゅうせい》とかなんとか云うのだろう。尤《もっと》もセゾンはもう冬かも知れないが、過渡時代には、冬の日になったり、秋の日になったりするのだ。きょうはまだ秋だとして置くね。どこか底の方に、ぴりっとした冬の分子が潜んでいて、夕日が沈み掛かって、かっと照るような、悲哀を帯びて爽快な処が
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