ケっこう》を出して、その斥候が敵の影を認める度に、遠方から射撃して還《かえ》るように、はかばかしい衝突もせぬ代りに、平和に打ち明けることもなくているのは、こう云うわけである。
 秀麿の銜《くわ》えている葉巻の白い灰が、だいぶ長くなって持っていたのが、とうとう折れて、運動椅子に倚《よ》り掛かっている秀麿のチョッキの上に、細い鱗《うろこ》のような破片を留《と》めて、絨緞《じゅうたん》の上に落ちて砕けた。今のように何もせずにいると、秀麿はいつも内には事業の圧迫と云うような物を受け、外には家庭の空気の或る緊張を覚えて、不快である。
 秀麿は「又本を読むかな」と思った。兼ねて生涯の事業にしようと企てた本国の歴史を書くことは、どうも神話と歴史との限界をはっきりさせずには手が著けられない。寧《むし》ろ先《ま》ず神話の結成を学問上に綺麗に洗い上げて、それに伴う信仰を、教義史体にはっきり書き、その信仰を司祭的に取り扱った機関を寺院史体にはっきり書く方が好さそうだ。そうしたってプロテスタント教がその教義史と寺院史とで毀損《きそん》せられないと同じ事で、祖先崇拝の教義や機関も、特にそのために危害を受ける筈《
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