浮べていた。
「そうかい」と云って、奥さんは雪が火を活《い》けて、大きい枠《わく》火鉢の中の、真っ白い灰を綺麗《きれい》に、盛り上げたようにして置いて、起《た》って行くのを、やはり不安な顔をして、見送っていた。邸《やしき》では瓦斯が勝手にまで使ってあるのに、奥さんは逆上《のぼ》せると云って、炭火に当っているのである。
 電燈は邸《やしき》ではどの寝間にも夜どおし附いている。しかし秀麿は寝る時必ず消して寝る習慣を持っているので、それが附いていれば、又徹夜して本を読んでいたと云うことが分かる。それで奥さんは手水《ちょうず》に起きる度《たび》に、廊下から見て、秀麿のいる洋室の窓の隙《すき》から、火の光の漏れるのを気にしているのである。

     ――――――――――――――――

 秀麿は学習院から文科大学に這入って、歴史科で立派に卒業した。卒業論文には、国史は自分が畢生《ひっせい》の事業として研究する積りでいるのだから、苛《いやし》くも筆を著《つ》けたくないと云って、古代|印度《インド》史の中から、「迦膩色迦王《かにしかおう》と仏典結集《ぶってんけつじゅう》」と云う題を選んだ。これは阿輸
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