tがないので、公園内の飲食店で催す演奏会へでも往《い》って、夜なかまで涼みます。だいぶ北極が近くなっている国ですから、そんなにして遊んで帰って、夜なかを過ぎて寝ようとすると、もう窓が明るくなり掛かっています。」
かれこれするうちに秋になった。「ヨオロッパでは寒さが早く来ますから、こんな秋日和《あきびより》の味は味うことが出来ませんね」と、秀麿は云って、お母あ様に対して、ちょっと愉快げな笑顔をして見せる。大抵こんな話をするのは食事の時位で、その外の時間には、秀麿は自分の居間になっている洋室に籠《こも》っている。西洋から持って来た書物が多いので、本箱なんぞでは間に合わなくなって、この一間だけ壁に悉《ことごと》く棚《たな》を取り附けさせて、それへ一ぱい書物を詰め込んだ。棚の前には薄い緑色の幕を引かせたので、一種の装飾にはなったが、壁がこれまでの倍以上の厚さになったと同じわけだから、室内が余程暗くなって、それと同時に、一間が外より物音の聞えない、しんとした所になってしまった。小春の空が快く晴れて、誰も彼も出歩く頃になっても、秀麿はこのしんとした所に籠って、卓《テエブル》の傍を離れずに本を読んでいる。窓の明りが左手から斜《ななめ》に差し込んで、緑の羅紗《らしゃ》の張ってある上を半分明るくしている卓である。
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この秋は暖い暖いと云っているうちに、稀《まれ》に降る雨がいつか時雨《しぐれ》めいて来て、もう二三日前から、秀麿の部屋のフウベン形の瓦斯煖炉《ガスだんろ》にも、小間使の雪が来て点火することになっている。
朝起きて、庭の方へ築《つ》き出してある小さいヴェランダへ出て見ると、庭には一面に、大きい黄いろい梧桐《ごとう》の葉と、小さい赤い山もみじの葉とが散らばって、ヴェランダから庭へ降りる石段の上まで、殆ど隙間もなく彩《いろど》っている。石垣に沿うて、露に濡《ぬ》れた、老緑《ろうりょく》の広葉を茂らせている八角全盛《やつで》が、所々に白い茎を、枝のある燭台《しょくだい》のように抽《ぬ》き出して、白い花を咲かせている上に、薄曇の空から日光が少し漏れて、雀《すずめ》が二三羽鳴きながら飛び交わしている。
秀麿は暫く眺めていて、両手を力なく垂れたままで、背を反《そ》らせて伸びをして、深い息を衝いた。それから部屋に這入《はい》って、洗面|卓《たく》の傍《そば》へ行って、雪が取って置いた湯を使って、背広の服を引っ掛けた。洋行して帰ってからは、いつも洋服を著《き》ているのである。
そこへお母あ様が這入って来た。「きょうは日曜だから、お父う様は少しゆっくりしていらっしゃるのだが、わたしはもう御飯を戴《いただ》くから、お前もおいででないか。」こう云って、息子の顔を横から覗《のぞ》くように見て、詞を続けた。「ゆうべも大層遅くまで起きていましたね。いつも同じ事を言うようですが、西洋から帰ってお出《いで》の時は、あんなに体が好かったのに、余り勉強ばかりして、段々顔色を悪くしておしまいなのね。」
「なに。体はどうもありません。外へ出ないでいるから、日に焼けないのでしょう。」笑いながら云って、一しょに洋室を出た。
しかし奥さんにはその笑声が胸を刺すように感ぜられた。秀麿が心からでなく、人に目潰《めつぶ》しに何か投げ附けるように笑声をあびせ掛ける習癖を、自分も意識せずに、いつの間にか養成しているのを、奥さんは本能的に知っているのである。
食事をしまって帰った時は、明方に薄曇のしていた空がすっかり晴れて、日光が色々に邪魔をする物のある秀麿の室《へや》を、物見高い心から、依怙地《えこじ》に覗こうとするように、窓帷《まどかけ》のへりや書棚のふちを彩って、卓《テエブル》の上に幅の広い、明るい帯をなして、インク壺《つぼ》を光らせたり、床に敷いてある絨氈《じゅうたん》の空想的な花模様に、刹那《せつな》の性命を与えたりしている。そんな風に、日光の差し込んでいる処《ところ》の空気は、黄いろに染まり掛かった青葉のような色をして、その中には細かい塵《ちり》が躍っている。
室内の温度の余り高いのを喜ばない秀麿は、煖炉のコックを三分一程閉じて、葉巻を銜《くわ》えて、運動椅子に身を投げ掛けた。
秀麿の心理状態を簡単に説明すれば、無聊《ぶりょう》に苦んでいると云うより外はない。それも何事もすることの出来ない、低い刺戟に饑《う》えている人の感ずる退屈とは違う。内に眠っている事業に圧迫せられるような心持である。潜勢力の苦痛である。三国時代の英雄は髀《ひ》に肉を生じたのを見て歎《たん》じた。それと同じように、余所目《よそめ》には痩せて血色の悪い秀麿が、自己の力を知覚していて、脳髄が医者の謂《い》う無動作性|萎縮《いしゅく》に陥いらねば好いがと
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