ノも生々した様子が見え、ドイツで秀麿と親しくしたと云って、帰ってから尋ねて来る同族の人も、秀麿は随分勉強をしているが、玉も衝けば氷滑《こおりすべ》りもすると云う風で、上流の人を相手にして開いている、某夫人のパンジオナアトでは、若い男女の寄宿人が、芝居の初興行をでも見に行くとき、ヴィコント五条が一しょでなくては面白くないと云う程だと話して聞せるので、子爵夫婦は喜んで、早く丈夫な男になって帰って来るのを見たいと思っていた。
秀麿は去年の暮に、書物をむやみに沢山持って、帰って来た。洋行前にはまだどこやら少年らしい所のあったのが、三年の間にすっかり男らしくなって、血色も好くなり、肉も少し附いている。しかし待ち構えていた奥さんが気を附けて様子を見ると、どうも物の言振《いいぶり》が面白くないように思われた。それは大学を卒業した頃から、西洋へ立つ時までの、何か物を案じていて、好い加減に人に応対していると云うような、沈黙勝な会話振が、定めてすっかり直って帰ったことと思っていたのに、帰った今もやはり立つ前と同じように思われたのである。
新橋へ著《つ》いた日の事であった。出迎をした親類や心安い人の中《うち》には、邸まで附いて来たのもあって、五条家ではそう云う人達に、一寸《ちょっと》した肴《さかな》で酒を出した。それが済んだ跡で、子爵と秀麿との間に、こんな対話があった。
子爵は袴《はかま》を着けて据わって、刻煙草《きざみたばこ》を煙管《きせる》で飲んでいたが、痩《や》せた顔の目の縁に、皺《しわ》を沢山寄せて、嬉しげに息子をじっと見て、只一言「どうだ」と云った。
「はい」と父の顔を見返しながら秀麿は云ったが、傍《そば》で見ている奥さんには、その立派な洋服姿が、どうも先《さ》っき客の前で勤めていた時と変らないように、少しも寛《くつろ》いだ様子がないように思われて、それが気に掛かった。
子爵は息子がまだ何か云うだろうと思って、暫《しばら》く黙っていたが、それきりなんとも云わないので、詞《ことば》を続《つ》いだ。「書物を沢山持って帰ったそうだね。」
「こっちで為事《しごと》をするのに差支えないようにと思って、中には読んで見る方の本でない、物を捜し出す方の本も買って帰ったものですから、嵩《かさ》が大きくなりました。」
「ふん。早く為事に掛かりたかろうなあ。」
秀麿は少し返事に躊躇《ちゅう
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