エイじん》は、あのモスコエ島の名を取つてモスコエストロオムと申します。」
僕はこの渦巻の事を書いたものを見たことがあるが、実際目で見るのと、物に書いてあるのとは全く違ふ。ヨナス・ラムスの書いたものが、どれよりも綿密らしいが、その記事なんぞを読んだつて、この実際の状況に似寄つた想像は、とても浮かばない。その偉大な一面から見ても、又その恐るべき一面から見ても、さうである。又この未曾有《みそう》なもの、唯一なものが、覿面にそれを見てゐる人の心を、どんなに動かし狂はすかといふことも、とても想像せられまい。一体ヨナス・ラムスはどの地点からどんな時刻にこの渦巻を観察したのか知らない。兎に角決して暴風の最ちゆうにこのヘルセツゲンの山の巓から見たのではあるまい。併しあの記事の中に二三記憶して置いても好い事がある。とても実況に比べて見ては、お話にならないほど薄弱な文句ではあるが。
その文句はかうである。
「ロフオツデンとモスコエとの中間は、水の深さ三十五ノツトより四十ノツトに至る。然るにウルグ島の方面に向ひては、その深さ次第に減じて、如何なる船舶もこの間を航すること難し。若し強ひてこの間を航するとき
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