ばかりでないのに気が付きました。船より上《かみ》の方にも下《しも》の方にも壊れた船の板片やら、山から切り出した林木やら、生木の幹やら、その外色々な小さい物、家財、壊れた箱、桶、板なんぞが走つてゐます。そのときのわたくしが最初に恐ろしがつてゐたのと違つて、不思議な好奇心に駆られてゐたといふことは、さつきもお話し申した通りでございます。どうもその好奇心が漏斗の底へ吸ひ込まれる刹那が近づけば近づくほど、増長して来るやうでございました。そこで船と一しよに走つてゐる色々な品物を細かに注意して観察し始めました。そしてその品物が底のしぶきの中に落ち込むに、早いのもあり、又遅いのもあるといふところに気を着けて、その後れ先立つ有様を面白く思つて見てゐました。これも多分気が狂つてゐたからでございませう。ふいと気が付いて見れば、わたくしは心の中でこんな事を思つてゐたのでございますね。『きつとあの樅の木が、この次ぎに、あの恐ろしい底に巻き込まれて見えなくなつてしまふのだな』なんぞと思つてゐたのでございますね。それが間違がつて、樅の木より先に、和蘭《オランダ》の商船の壊れたのが沈んでしまつたり何かするのでござい
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