い方の半分が重点を岩端を外れて外に落してゐる。つる/\滑りさうな岩の縁《へり》に両肘を突いてゐるので、その男の体は落ちないでゐるのである。
 その小さい岩端といふのは、嶮しい、鉛直に立つてゐる岩である。その岩は黒く光る柘榴石《ざくろせき》である。それが底の方に幾つともなく簇《むら》がつてゐる岩の群を抜いて、大約一万五千|呎《フイイト》乃至一万六千呎位真直に立つてゐるのである。僕なんぞは誰がなんと云つても、その縁から一二尺位な所まで体を覗けることは出来ないのである。連の男の危ない所にゐるのが気になつて、自分までが危なく思はれるので、僕は土の上に腹這ひになつて、そこに生えてゐる灌木を掴んでゐた。下を見下すどころではない。上を向いて空を見るのも厭である。どうも暴風《あらし》が吹いて来てこの山の根の方を崩してしまひはすまいかと思はれてならない。僕はさういふ想像を抑制することを力《つと》めてゐるのに、又してもその想像が起つてならない。自分で自分の理性に訴へて、自分で自分の勇気を鼓舞して、そこに坐つて遠方を見ることが出来るやうになるまでには余程時間が掛かつた。
 僕を連れて来た男がかう云つた。

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