般にさういふ説が行なはれてゐるが、自分はそんなことは信じないと云つたのである。それから最初の渦巻の出来る原因といふことに就いては、その男はまるで分からないと云つた。これには僕も同意する。紙の上で読んで見たときは尤《もつとも》らしく思はれたが、この水底の雷霆《らいてい》を聞きながら考へて見ると、そんな理窟は馬鹿らしくなつてしまふのである。
 連の男が云つた。
「渦巻の実況はこれで十分御覧になつたのでございませう。どうぞこの岩に付いて廻つて来て下さいまし。少し風のあたらない所がございます。そこなら、水の音も余程弱くなつて聞えて来ます。そこでわたくしが自分の経歴談をお聞かせ申したいのでございます。それをお聴きになつたなら、このモスコエストロオムのことを、わたくしが多少心得てゐる筈だといふわけが、あなたにもお分かりになるでございませう。」
 僕はその男の連れて行く所へ付いて行つて、蹲《しやが》んだ。その男がこんな風に話し出した。
「わたくしと二人のきやうだいとで、前方《まへかた》大約七十噸ばかりの二本|檣《ほばしら》の船を持つてゐました。その船に乗つて、わたくし共はモスコエを越して、向うのウルグ附近の島と島との間で、漁猟を致してゐました。一体波の激しく岩に打ち付ける所では漁の多いことがあるもので、只そんな所へ漕ぎ出す勇気さへあれば、人の収め得ない利益をも収め得ることが出来るものでございます。兎に角ロフオツデン沿岸の漁民は沢山ありますが、只今申した島々の間で、極まつて漁をするものは、わたくし共三人きやうだいの外にはございませんでした。普通の漁場《れふば》は、わたくし共の行く所よりずつと南に寄つた沖合なのでございます。そこまで行けば、いつでも危険を冒さずに、漁をすることが出来るので、誰でもまづその方へ出掛けるのでございます。併しわたくし共の行く岩の間で取れる魚《うを》は、種類が沖合より余程多くて、魚の数もやはり多いのでございます。どうか致すと、沖に行く臆病な人が一週間も掛かつて取るだけの魚を、わたくし共は一日に取つて帰りました。つまりわたくし共は山気《やまぎ》のある為事《しごと》をしてゐたのでございますね。胆力を資本にして、性命を賭してやつてゐたといふわけでございますね。」
「大抵わたくし共は、こゝから五哩ほど上の入海のやうな所に船を留めてゐまして、天気の好いときに、潮の鎮まつ
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