りて長く嘶《いば》ゆる駿馬《しゅんめ》の鬣《たてがみ》に似たりけり。「けふなり。けふなり。きのふありて何かせむ。あすも、あさても空《むな》しき名のみ、あだなる声のみ。」
この時、二点三点、粒太《つぶふと》き雨は車上の二人が衣《きぬ》を打ちしが、瞬《またた》くひまに繁くなりて、湖上よりの横しぶき、あららかにおとづれ来て、紅《べに》を潮《さ》したる少女が片頬《かたほお》に打ちつくるを、さし覗《のぞ》く巨勢が心は、唯そらにのみやなりゆくらむ。少女は伸びあがりて、「御者、酒手《さかて》は取らすべし。疾《と》く駆《か》れ。一策《ひとむち》加へよ、今一策。」と叫びて、右手《めて》に巨勢が頸《うなじ》を抱《いだ》き、己《おの》れは項《うなじ》をそらせて仰視《あおぎみ》たり。巨勢は絮《わた》の如き少女が肩に、我|頭《かしら》を持たせ、ただ夢のここちしてその姿を見たりしが、彼《かの》凱旋門《がいせんもん》上の女神バワリアまた胸に浮びぬ。
国王の棲《す》めりといふベルヒ城の下《もと》に来《こ》し頃は、雨いよいよ劇《はげ》しくなりて、湖水のかたを見わたせば、吹寄する風一陣々、濃淡の竪縞《たてじま》おり出して、濃《こ》き処には雨白く、淡《あわ》き処には風黒し。御者は車を停めて、「しばしがほどなり。余りに濡《ぬ》れて客人《まろうど》も風や引き玉はむ。また旧《ふる》びたれどもこの車、いたく濡らさば、主人《あるじ》の嗔《いかり》に逢《あ》はむ。」といひて、手早く母衣|打掩《うちおお》ひ、また一鞭《ひとむち》あてて急ぎぬ。
雨なほをやみなくふりて、神おどろおどろしく鳴りはじめぬ。路《みち》は林の間に入りて、この国の夏の日はまだ高かるべき頃なるに、木下道《このしたみち》ほの暗うなりぬ。夏の日に蒸《む》されたりし草木の、雨に湿《うるお》ひたるかをり車の中に吹入るを、渇《かつ》したる人の水飲むやうに、二人は吸ひたり。鳴神《なるかみ》のおとの絶間《たえま》には、おそろしき天気に怯《おく》れたりとも見えぬ「ナハチガル」鳥の、玲瓏《れいろう》たる声振りたててしばなけるは、淋しき路を独《ひとり》ゆく人の、ことさらに歌うたふ類《たぐい》にや。この時マリイは諸手《もろて》を巨勢が項に組合せて、身のおもりを持たせかけたりしが、木蔭を洩《も》る稲妻に照らされたる顔、見合せて笑《えみ》を含みつ。あはれ二人は我を忘れ、わが乗れる車を忘れ、車の外なる世界をも忘れたりけむ。
林を出でて、阪路《さかみち》を下るほどに、風|村雲《むらくも》を払ひさりて、雨もまた歇《や》みぬ。湖の上なる霧は、重ねたる布を一重《ひとえ》、二重と剥《は》ぐ如く、束《つか》の間《ま》に晴れて、西岸なる人家も、また手にとるやうに見ゆ。唯ここかしこなる木下蔭を過《す》ぐるごとに、梢《こずえ》に残る露の風に払はれて落つるを見るのみ。
レオニにて車を下りぬ。左に高く聳《そばだ》ちたるは、いはゆるロットマンが岡にて、「湖上第一勝」と題したる石碑《せきひ》の建てる処なり。右に伶人《れいじん》レオニが開きぬといふ、水に臨《のぞ》める酒店《さかみせ》あり。巨勢が腕《かいな》にもろ手からみて、縋《すが》るやうにして歩みし少女は、この店の前に来て岡の方をふりかへりて、「わが雇はれし英吉利人《イギリスびと》の住みしは、この半腹《はんぷく》の家なりき。老いたるハンスル夫婦が漁師小屋も、最早百歩がほどなり。われはおん身をかしこへ、伴はむとおもひて来《こ》しが、胸騒ぎて堪《た》へがたければ、この店にて憩《いこ》はばや。」巨勢は現《げ》にもとて、店に入りて夕餉《ゆうげ》誂《あつら》ふるに、「七時ならでは整はず、まだ三十分待ち給はではかなはじ、」といふ。ここは夏の間のみ客ある処にて、給仕する人もその年々に雇ふなれば、マリイを識《し》れるもなかりき。
少女はつと立ちて、桟橋《さんばし》に繋《つな》ぎし舟を指さし、「舟|漕《こ》ぐことを知り玉ふか。」巨勢、「ドレスデンにありし時、公園のカロラ池にて舟漕ぎしことあり、善くすといふにあらねど、君|独《ひと》りわたさむほどの事、いかで做得《なしえ》ざらむ。」少女、「庭なる椅子《いす》は濡《ぬ》れたり。さればとて屋根の下は、あまりに暑し。しばし我を載せて漕ぎ玉へ。」
巨勢はぬぎたる夏外套《なつがいとう》を少女に被《き》せて小舟《おぶね》に乗らせ、われは櫂《かい》取りて漕出《こぎい》でぬ。雨は歇みたれど、天なほ曇りたるに、暮色は早く岸のあなたに来ぬ。さきの風に揺られたるなごりにや、※[#「※」は「木へん+世」、第3水準1−85−56、63−5]敲《かじたた》くほどの波はなほありけり。岸に沿ひてベルヒの方《かた》へ漕ぎ戻すほどに、レオニの村落果つるあたりに来ぬ。岸辺の木立《こだち》絶えたる処に、真砂路《まさごじ》の次第に低くなりて、波打際《なみうちぎわ》に長椅子|据《す》ゑたる見ゆ。蘆《あし》の一叢《ひとむら》舟に触れて、さわさわと声するをりから、岸辺に人の足音して、木の間を出づる姿あり。身の長《たけ》六尺に近く、黒き外套を着て、手にしぼめたる蝙蝠傘《こうもりがさ》を持ちたり。左手《ゆんで》に少し引きさがりて随《したが》ひたるは、鬚《ひげ》も髪も皆雪の如くなる翁《おきな》なりき。前なる人は俯《うつむ》きて歩み来《き》ぬれば、縁《ふち》広き帽に顔隠れて見えざりしが、今|木《こ》の間《ま》を出でて湖水の方に向ひ、しばし立ちとどまりて、片手に帽をぬぎ持ちて、打ち仰ぎたるを見れば、長き黒髪を、後《うしろ》ざまにかきて広き額《ぬか》を露《あら》はし、面《おもて》の色灰のごとく蒼《あお》きに、窪《くぼ》みたる目の光は人を射たり。舟にては巨勢が外套を背に着て、蹲《うずく》まりゐたるマリイ、これも岸なる人を見ゐたりしが、この時|俄《にわか》に驚きたる如く、「彼は王なり」と叫びて立ちあがりぬ。背なりし外套は落ちたり。帽はさきに脱ぎたるまま、酒店に置きて出でぬれば、乱れたるこがね色の髪は、白き夏衣《なつごろも》の肩にたをたをとかかりたり。岸に立ちたるは、実に侍医グッデンを引つれて、散歩に出でたる国王なりき。あやしき幻の形を見る如く、王は恍惚《こうこつ》として少女の姿を見てありしが、忽《たちまち》一声「マリイ」と叫び、持ちたる傘投棄てて、岸の浅瀬をわたり来ぬ。少女は「あ」と叫びつつ、そのまま気を喪《うしな》ひて、巨勢が扶《たす》くる手のまだ及ばぬ間《ま》に僵《たお》れしが、傾く舟の一揺りゆらるると共に、うつ伏《ぶせ》になりて水に墜《お》ちぬ。湖水はこの処にて、次第々々に深くなりて、勾配《こうばい》ゆるやかなりければ、舟の停《とど》まりしあたりも、水は五尺に足らざるべし。されど岸辺の砂は、やうやう粘土まじりの泥となりたるに、王の足は深く陥《おち》いりて、あがき自由ならず。その隙《ひま》に随《したが》ひたりし翁は、これも傘投捨てて追ひすがり、老いても力や衰へざりけむ、水を蹴《けり》て二足《ふたあし》三足《みあし》、王の領首《えりくび》むづと握りて引戻さむとす。こなたは引かれじとするほどに、外套は上衣と共に翁が手に残りぬ。翁はこれをかいやり棄てて、なほも王を引寄せむとするに、王はふりかへりて組付き、かれこれたがひに声だに立てず、暫し揉合《もみあ》ひたり。
これ唯《ただ》一瞬間の事なりき。巨勢は少女が墜《お》つる時、僅《わずか》に裳《も》を握みしが、少女が蘆間隠れの杙《くい》に強く胸を打たれて、沈まむとするを、やうやうに引揚《ひきあ》げ、汀《みぎわ》の二人が争ふを跡に見て、もと来《こ》し方《かた》へ漕ぎ返しつ。巨勢は唯|奈何《いか》にもして少女が命助けむと思ふのみにて、外《ほか》に及ぶに遑《いとま》あらざりしなり。レオニの酒店の前に来しが、ここへは寄らず、これより百歩がほどなりと聞きし、漁師夫婦が苫屋《とまや》をさして漕ぎゆくに、日もはや暮れて、岸には「アイヘン」、「エルレン」などの枝繁りあひ広ごりて、水は入江の形をなし、蘆にまじりたる水草に、白き花の咲きたるが、ゆふ闇《やみ》にほの見えたり。舟には解けたる髪の泥水にまみれしに、藻屑《もくず》かかりて僵《たお》れふしたる少女の姿、たれかあはれと見ざらむ。をりしも漕来る舟に驚きてか、蘆間を離れて、岸のかたへ高く飛びゆく螢《ほたる》あり。あはれ、こは少女が魂《たま》のぬけ出でたるにはあらずや。
しばしありて、今まで木影《こかげ》に隠れたる苫屋の燈《ともしび》見えたり。近寄りて、「ハンスルが家はここなりや、」とおとなへば、傾きし簷端《のきば》の小窓|開《あ》きて、白髪の老女《おうな》、舟をさしのぞきつ。「ことしも水の神の贄《にえ》求めつるよ。主人《あるじ》はベルヒの城へきのふより駆《か》りとられて、まだ帰らず。手当《てあて》して見むとおもひ玉はば、こなたへ。」と落付きたる声にていひて、窓の戸ささむとしたりしに、巨勢は声ふりたてて、「水に墜ちたるはマリイなり、そなたのマリイなり、」といふ。老女は聞きも畢《おわ》らず、窓の戸を開け放ちたるままにて、桟橋《さんばし》の畔《ほとり》に馳出《はせい》で、泣く泣く巨勢を扶《たす》けて、少女を抱きいれぬ。
入りて見れば、半ば板敷にしたるひと間のみ。今火を点《とも》したりと見ゆる小「ランプ」竈《かまど》の上に微《かすか》なり。四方《よも》の壁にゑがきたる粗末なる耶蘇《ヤソ》一代記の彩色画は、煤《すす》に包まれておぼろげなり。藁火焚《わらびた》きなどして介抱しぬれど、少女は蘇《よみがえ》らず。巨勢は老女と屍《かばね》の傍《かたわら》に夜をとほして、消えて迹《あと》なきうたかたのうたてき世を喞《かこ》ちあかしつ。
時は耶蘇暦千八百八十六年六月十三日の夕《ゆうべ》の七時、バワリア王ルウドヰヒ第二世は、湖水に溺《おぼ》れて※[#「※」は「歹+且」、第3水準1−86−38、66−6]《そ》せられしに、年老いたる侍医グッデンこれを救はむとて、共に命を殞《おと》し、顔に王の爪痕《そうこん》を留《とど》めて死したりといふ、おそろしき知らせに、翌《あくる》十四日ミュンヘン府の騒動はおほかたならず。街の角々には黒縁《くろぶち》取りたる張紙《はりがみ》に、この訃音《ふいん》を書きたるありて、その下には人の山をなしたり。新聞号外には、王の屍見出だしつるをりの模様に、さまざまの臆説《おくせつ》附けて売るを、人々争ひて買ふ。点呼に応ずる兵卒の正服つけて、黒き毛植ゑたるバワリア※[#「※」は上部が「矛+攵」下部が「金」、第3水準1−93−30、66−10]《かぶと》戴《いただ》ける、警察吏の馬に騎《の》り、または徒立《かちだち》にて馳《は》せちがひたるなど、雑沓《ざっとう》いはんかたなし。久しく民に面《おもて》を見せたまはざりし国王なれど、さすがにいたましがりて、憂《うれい》を含みたる顔も街に見ゆ。美術学校にもこの騒ぎにまぎれて、新《あらた》に入《いり》し巨勢がゆくへ知れぬを、心に掛くるものなかりしが、エキステル一人は友の上を気づかひゐたり。
六月十五日の朝《あした》、王の柩《ひつぎ》のベルヒ城より、真夜中に府に遷《うつ》されしを迎へて帰りし、美術学校の生徒が「カッフェエ・ミネルワ」に引上げし時、エキステルはもしやと思ひて、巨勢が「アトリエ」に入りて見しに、彼はこの三日がほどに相貌《そうぼう》変りて、著《し》るく痩《や》せたる如く、「ロオレライ」の図の下に跪《ひざまず》きてぞゐたりける。
国王の横死《おうし》の噂《うわさ》に掩《おお》はれて、レオニに近き漁師ハンスルが娘一人、おなじ時に溺れぬといふこと、問ふ人もなくて已《や》みぬ。
底本:「舞姫・うたかたの記 他三篇」岩波文庫、岩波書店
1981(昭和56)年1月16日初版発行
1999(平成11)年7月15日36刷
底本の親本:「鴎外全集 第二巻」岩波書店
1971(昭和46)年12月初版発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が
前へ
次へ
全5ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
森 鴎外 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング