たかたのうたてき世を喞《かこ》ちあかしつ。
時は耶蘇暦千八百八十六年六月十三日の夕《ゆうべ》の七時、バワリア王ルウドヰヒ第二世は、湖水に溺《おぼ》れて※[#「※」は「歹+且」、第3水準1−86−38、66−6]《そ》せられしに、年老いたる侍医グッデンこれを救はむとて、共に命を殞《おと》し、顔に王の爪痕《そうこん》を留《とど》めて死したりといふ、おそろしき知らせに、翌《あくる》十四日ミュンヘン府の騒動はおほかたならず。街の角々には黒縁《くろぶち》取りたる張紙《はりがみ》に、この訃音《ふいん》を書きたるありて、その下には人の山をなしたり。新聞号外には、王の屍見出だしつるをりの模様に、さまざまの臆説《おくせつ》附けて売るを、人々争ひて買ふ。点呼に応ずる兵卒の正服つけて、黒き毛植ゑたるバワリア※[#「※」は上部が「矛+攵」下部が「金」、第3水準1−93−30、66−10]《かぶと》戴《いただ》ける、警察吏の馬に騎《の》り、または徒立《かちだち》にて馳《は》せちがひたるなど、雑沓《ざっとう》いはんかたなし。久しく民に面《おもて》を見せたまはざりし国王なれど、さすがにいたましがりて、憂《うれい》を含みたる顔も街に見ゆ。美術学校にもこの騒ぎにまぎれて、新《あらた》に入《いり》し巨勢がゆくへ知れぬを、心に掛くるものなかりしが、エキステル一人は友の上を気づかひゐたり。
六月十五日の朝《あした》、王の柩《ひつぎ》のベルヒ城より、真夜中に府に遷《うつ》されしを迎へて帰りし、美術学校の生徒が「カッフェエ・ミネルワ」に引上げし時、エキステルはもしやと思ひて、巨勢が「アトリエ」に入りて見しに、彼はこの三日がほどに相貌《そうぼう》変りて、著《し》るく痩《や》せたる如く、「ロオレライ」の図の下に跪《ひざまず》きてぞゐたりける。
国王の横死《おうし》の噂《うわさ》に掩《おお》はれて、レオニに近き漁師ハンスルが娘一人、おなじ時に溺れぬといふこと、問ふ人もなくて已《や》みぬ。
底本:「舞姫・うたかたの記 他三篇」岩波文庫、岩波書店
1981(昭和56)年1月16日初版発行
1999(平成11)年7月15日36刷
底本の親本:「鴎外全集 第二巻」岩波書店
1971(昭和46)年12月初版発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が
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