確かに思っている。変人と思うと同時に、気の毒な人だと感じて、protege[#「e」は全てアクサン(´)付き]《プロテジェエ》にしてくれるという風である。それが挨拶をする表情に見えている。木村はそれを厭《いや》がりもしないが、無論|難有《ありがた》くも思っていない。
丁度近所の人の態度と同じで、木村という男は社交上にも余り敵を持ってはいない。やはり少し馬鹿《ばか》にする気味で、好意を表していてくれる人と、冷澹に構わずに置いてくれる人とがあるばかりである。
それに文壇では折々退治られる。
木村はただ人が構わずに置いてくれれば好いと思う。構わずにというが、著作だけはさせて貰いたい。それを見当違に罵倒《ばとう》したりなんかせずに置いてくれれば好いと思うのである。そして少数の人がどこかで読んで、自分と同じような感じをしてくれるものがあったら、為合《しあわ》せだと、心のずっと奥の方で思っているのである。
停留場までの道を半分程歩いて来たとき、横町から小川という男が出た。同じ役所に勤めているので、三度に一度位は道連《みちづれ》になる。
「けさは少し早いと思って出たら、君に逢った」と、小川は云って、傘を傾けて、並んで歩き出した。
「そうかね。」
「いつも君の方が先きへ出ているじゃあないか。何か考え込んで歩いていたね。大作の趣向を立てていたのだろう。」
木村はこう云う事を聞く度に、くすぐられるような心持がする。それでも例の晴々とした顔をして黙っている。
「こないだ太陽を見たら、君の役所での秩序的生活と芸術的生活とは矛盾していて、到底調和が出来ないと云ってあったっけ。あれを見たかね。」
「見た。風俗を壊乱する芸術と官吏服務規則とは調和の出来ようがないと云うのだろう。」
「なるほど、風俗壊乱というような字があったね。僕はそうは取らなかった。芸術と官吏というだけに解したのだ。政治なんぞは先ず現状のままでは一時の物で、芸術は永遠の物だ。政治は一国の物で、芸術は人類の物だ。」小川は省内での饒舌家《じょうぜつか》で、木村はいつもうるさく思っているが、そんな素振《そぶり》はしないように努めている。先方は持病の起ったように、調子附いて来た。「しかし、君、ルウズウェルトの方々で遣《や》っている演説を読んでいるだろうね。あの先生が口で言っているように行けば、政治も一時だけの物ではない。一国ばかりの物ではない。あれを一層高尚にすれば、政治が大芸術になるねえ。君なんぞの理想と一致するだろうと思うが、どうかねえ。」
木村は馬鹿々々しいと思って、一寸《ちょっと》顔を蹙《しか》めたくなったのをこらえている。
そのうち停留場に来た。場末の常で、朝出て晩に帰れば、丁度満員の車にばかり乗るようになるのである。二人は赤い柱の下に、傘を並べて立っていて、車を二台も遣り過して、やっとの事で乗った。
二人共|弔皮《つりかわ》にぶら下がった。小川はまだしゃべり足りないらしい。
「君。僕の芸術観はどうだね。」
「僕はそんな事は考えない。」不精々々に木村が答えた。
「どう思って遣っているのだね。」
「どうも思わない。作りたいとき作る。まあ、食いたいとき食うようなものだろう。」「本能かね。」
「本能じゃあない。」
「なぜ。」
「意識して遣っている。」
「ふん」と云って、小川は変な顔をして、なんと思ったか、それきり電車を降りるまで黙っていた。
小川に分かれて、木村は自分の部屋の前へ行って、帽子掛に帽子を掛けて、傘を立てて置いた。まだ帽子は二つ三つしか掛かっていなかった。
戸は開け放して、竹簾《たけすだれ》が垂れてある。お為着《しき》せの白服を着た給仕の側を通って、自分の机の処へ行く。先きへ出ているものも、まだ為事《しごと》には掛からずに、扇などを使っている。「お早う」位を交換するのもある。黙って頤《あご》で会釈するのもある。どの顔も蒼《あお》ざめた、元気のない顔である。それもそのはずである。一月に一度位ずつ病気をしないものはない。それをしないのは木村だけである。
木村は「非常持出」と書いた札の張ってある、煤色《すすいろ》によごれた戸棚から、しめっぽい書類を出して来て、机の上へ二山に積んだ。低い方の山は、其日々々に処理して行くもので、その一番上に舌を出したように、赤札の張ってある一綴《ひとつづり》の書類がある。これが今朝課長に出さなくてはならない、急ぎの事件である。高い方の山は、相間《あいま》々々にぽつぽつ遣れば好い為事である。当り前の分担事務の外に、字句の訂正を要するために、余所《よそ》の局からも、木村の処へ来る書類がある。そんなのも急ぎでないのはこの中に這入っている。
書類を持ち出して置いて、椅子《いす》に掛けて、木村は例の車掌の時計を出して見た。まだ八時までに十分ある。課長の出勤するまでには四十分あるのである。
木村は高い山の一番上の書類を広げて、読んで見ては、小さい紙切れに糊板《のりいた》の上の糊を附けて張って、それに何やら書き入れている。紙切れは幾枚かを紙撚《こより》で繋《つな》いで、机の横側に掛けてあるのである。役所ではこれを附箋と云っている。
木村はゆっくり構えて、絶えずこつこつと為事をしている。その間顔は始終晴々としている。こういう時の木村の心持は一寸説明しにくい。この男は何をするにも子供の遊んでいるような気になってしている。同じ「遊び」にも面白いのもあれば、詰まらないのもある。こんな為事はその詰まらない遊びのように思っている分である。役所の為事は笑談《じょうだん》ではない。政府の大機関の一小歯輪となって、自分も廻転しているのだということは、はっきり自覚している。自覚していて、それを遣っている心持が遊びのようなのである。顔の晴々としているのは、この心持が現れているのである。
為事が一つ片附くと、朝日を一本飲む。こんな時は木村の空想も悪戯《いたずら》をし出す事がある。分業というものも、貧乏|籤《くじ》を引いたもののためには、随分詰まらない事になるものだなどとも思う。しかし不平は感じない。そんならと云って、これが自分の運だと諦《あきら》めているというfataliste《ファタリスト》らしい思想を持っているのでもない。どうかすると、こんな事は罷《や》めたらどうだろうなどとも思う。それから罷めた先きを考えて見る。今の身の上で、ランプの下で著作をするように、朝から晩まで著作をすることになったとして見る。この男は著作をするときも、子供が好きな遊びをするような心持になっている。それは苦しい処がないという意味ではない。どんなsport《スポオト》をしたって、障礙《しょうがい》を凌《しの》ぐことはある。また芸術が笑談でないことを知らないのでもない。自分が手に持っている道具も、真の鉅匠《きょしょう》大家の手に渡れば、世界を動かす作品をも造り出すものだとは自覚している。自覚していながら、遊びの心持になっているのである。ガンベッタの兵が、あるとき突撃をし掛けて鋒《ほこ》が鈍った。ガンベッタが喇叭《らっぱ》を吹けと云った。そしたら進撃の譜《ふ》は吹かないで、reveil[#「re」の「e」はアクサン(´)付き]《レウエイユ》の譜を吹いた。イタリア人は生死の境に立っていても、遊びの心持がある。兎に角木村のためには何をするのも遊びである。そこで同じ遊びなら、好きな、面白い遊びの方が、詰まらない遊びより好いには違いない。しかしそれも朝から晩までしていたら、単調になって厭《あ》きるだろう。今の詰まらない為事にも、この単調を破るだけの功能はあるのである。
この為事を罷めたあとで、著作生活の単調を破るにはどうしよう。それは社交もある。旅もある。しかしそれには金がいる。人の魚を釣るのを見ているような態度で、交際社会に臨みたくはない。ゴルキイのようなvagabondage《ワガボンダアジュ》をして愉快を感じるには、ロシア人のような遺伝でもなくては駄目《だめ》らしい。やはりけちな役人の方が好いかも知れないと思って見る。そしてそう思うのが、別に絶望のような苦しい感じを伴うわけでもないのである。
ある時は空想がいよいよ放縦になって、戦争なんぞの夢も見る。喇叭は進撃の譜を奏する。高く※[#「※」は「上が敬、下が手」、第3水準1−84−92、128−5]《かか》げた旗を望んで駈歩をするのは、さぞ爽快《そうかい》だろうと思って見る。木村は病気というものをしたことがないが、小男で痩《や》せているので、徴兵に取られなかった。それで戦争に行ったことはない。しかし人の話に、壮烈な進撃とは云っても、実は土嚢《どのう》を翳《かざ》して匍匐《ほふく》して行くこともあると聞いているのを思い出す。そして多少の興味を殺《そ》がれる。自分だってその境に身を置いたら、土嚢を翳して匍匐することは辞せない。しかし壮烈だとか、爽快だとかいう想像は薄らぐ。それから縦《たと》い戦争に行くことが出来ても、輜重《しちょう》に編入せられて、運搬をさせられるかも知れないと思って見る。自分だって車の前に立たせられたら、挽《ひ》きもしよう。後に立たせられたら、推《お》しもしよう。しかし壮烈や爽快とは一層縁遠くなると思うのである。
ある時は航海の夢も見る。屋の如き浪を凌《しの》いで、大洋を渡ったら、愉快だろう。地極の氷の上に国旗を立てるのも、愉快だろうと思って見る。しかしそれにもやはり分業があって、蒸汽機関の火を焚《た》かせられるかも知れないと思うと、enthousiasme《アンツウジアスム》の夢が醒めてしまう。
木村は為事が一つ片附いたので、その一括の書類を机の向うに押し遣って、高い山からまた一括の書類を卸した。初のは半紙の罫紙《けいし》であったが、こん度のは紫板《むらさきばん》の西洋紙である。手の平にべたりと食っ附く。丁度|物干竿《ものほしざお》と一しょに蛞蝓《なめくじ》を掴《つか》んだような心持である。
この時までに五六人の同僚が次第に出て来て、いつか机が皆|塞《ふさ》がっていた。八時の鐸《たく》が鳴って暫くすると、課長が出た。
木村は課長がまだ腰を掛けないうちに、赤札の附いた書類を持って行って、少し隔たった処に立って、課長のゆっくり書類をportefeuille《ポルトフョイユ》から出して、硯箱《すずりばこ》の蓋《ふた》を取って、墨を磨《す》るのを見ている。墨を磨ってしまって、偶然のようにこっちへ向く。木村よりは三つ四つ歳の少い法学博士で、目附鼻附の緊《し》まった、余地の少い、敏捷《びんしょう》らしい顔に、金縁の目金を掛けている。
「昨日お命じの事件を」と云いさして、書類を出す。課長は受け取って、ざっと読んで見て、「これで好い」と云った。
木村は重荷を卸したような心持をして、自分の席に帰った。一度出して通過しない書類は、なかなか二度目位で滞りなく通過するものではない。三度も四度も直させられる。そのうちには向うでも種々に考えて見るので、最初云った事とは多少違って来る。とうとう手が附けられなくなってしまう。それで一度で通過するのを喜ぶのである。
席に帰って見ると、茶が来ている。八時に出勤したとき一杯と、午後勤務のあるときは三時頃に一杯とは、黙っていても、給仕が持って来てくれる。色が附いているだけで、味のない茶である。飲んでしまうと、茶碗の底に滓《かす》が沢山|淀《よど》んでいる。木村は茶を飲んでしまうと、相変らずゆっくり構えて、絶間なくこつこつと為事《しごと》をする。低い方の山の書類の処理は、折々帳簿を出して照らし合せて見ることがあるばかりで、ぐんぐんはかが行く。三件も四件も烟草休なしに済ましてしまうことがある。済んだのは、検印をして、給仕に持たせて、それぞれ廻す先へ廻す。書類中には直ぐに課長の処へ持って行くのもある。
その間には新しい書類が廻って来る。赤札のは直ぐに取り扱う。その外はどの山かの下へ入れる。電報は大抵赤札と同じようにするのである。
為事をしているうちに、急に暑くなったので、ふいと向うの窓を見る
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