》いてある。そこへ据わって、マッチを擦って、朝日を一本飲む。
 木村は為事《しごと》をするのに、差当りしなくてはならない事と、暇のある度にする事とを別けている。一つの机の上を綺麗に空虚にして置いて、その上へその折々の急ぐ為事を持って行く。そしてその急ぐ為事が片付くと、すぐに今一つの机の上に載せてある物をそのあとへ持ち出す。この載せてある物はいつも多い。堆《うずたか》く積んである。それは緩急によって畳《かさ》ねて、比較的急ぐものを上にして置くのである。
 木村は座布団の側にある日出《ひので》新聞を取り上げて、空虚にしてある机の上に広げて、七面の処を開ける。文芸欄のある処である。
 朝日の灰の翻《こぼ》れるのを、机の向うへ吹き落しながら読む。顔はやはり晴々としている。
 唐紙のあっちからは、はたきと箒《ほうき》との音が劇《はげ》しく聞える。女中が急いで寝間を掃除しているのである。はたきの音が殊に劇しいので、木村は度々小言を言ったが、一日|位《くらい》直っても、また元の通りになる。はたきに附けてある紙ではたかずに、柄の先きではたくのである。木村はこれを「本能的掃除」と名づけた。鳩《はと》の卵を抱いているとき、卵と白墨の角を※[#「※」は「刈」の「メ」に代えて「元」、第3水準1−14−60、117‐7]《おと》したのと取り換えて置くと、やはりその白墨を抱いている。目的は余所《よそ》になって、手段だけが実行せられる。塵《ちり》を取るためとは思わずに、はたくためにはたくのである。
 尤《もっと》もこの女中は、本能的掃除をしても、「舌の戦《そよ》ぎ」をしても、活溌で間に合うので、木村は満足している。舌の戦ぎというのは、ロオマンチック時代のある小説家の云った事で、女中が主人の出た迹《あと》で、近所をしゃべり廻るのを謂《い》うのである。
 木村は何か読んでしまって、一寸《ちょっと》顔を蹙《しか》めた。大抵いつも新聞を置くときは、極《ごく》apathique《アパチック》な表情をするか、そうでなければ、顔を蹙めるのである。書いてあるのは毒にも薬にもならないような事であるか、そうでなければ、木村が不公平だと感ずるような事であるからである。そんなら読まなくても好さそうなものであるが、やはり読む。読んで気のない顔をしたり、一寸顔を蹙めたりして、すぐにまた晴々とした顔に戻るのである。
 木村は
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