ノ、源氏物語を翻訳するに適した人を、わたくし共の同世の人の間に求めますれば、与謝野晶子さんに増す人はあるまいと思いますからでございます。源氏物語が 〔Conge'nial〕《コンジェニアル》 な人の手で訳せられたのだと思いますからでございます。
 こういう意味で、わたくし個人としての立場からは、現代語の源氏物語を要求しています。そしてその要求がこの本で十分に充《み》たされたのでございます。
 最後にわたくしは、なぜこの物語類の中で、特に源氏物語を訳して貰いたかったかというわけを一言申し添えたいのでございます。
 わたくしは源氏物語を読むたびに、いつも或る抗抵に打ち勝った上でなくては、詞《ことば》から意に達することが出来ないように感じます。そしてそれが単に現代語でないからだというだけではないのでございます。或る時故人|松波資之《まつなみすけゆき》さんにこのことを話しました。そうすると松波さんが、源氏物語は悪文だといわれました。随分皮肉なこともいうお爺さんでございましたから、この詞を余り正直に聞いて、源氏物語の文章を謗《そし》られたのだと解すべきではございますまい。しかし源氏物語の文章は、詞の新古は別としても、とにかく読みやすい文章ではないらしゅう思われます。
 そうして見ますれば、特に源氏物語の訳本がほしいと思っていたわたくし、今晶子さんのこの本を獲《え》て嬉しがるわたくしと同感だという人も、世間に少なくないかも知れません。
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明治四十五年一月
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[#地から1字上げ]森林太郎



底本:「源氏物語上巻 日本文学全集1」河出書房新社
   1965(昭和40)年6月3日初版発行
   1971(昭和46)年7月15日24版発行
入力:めいこ
校正:もりみつじゅんじ
2005年2月19日作成
青空文庫作成ファイル:
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