『新訳源氏物語』初版の序
森林太郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)精《くわ》しく

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)故人|松波資之《まつなみすけゆき》さん

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ここから2字下げ]

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)源氏物語が 〔Conge'nial〕《コンジェニアル》 な人の手で
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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 源氏物語を現代の口語に訳する必要がありましょうか。この問題を解決しようと試みることは、この本の序文として適当だろうかと思われます。
 単に必要があるかと申しますのは、精《くわ》しくいえば、時代がそれを要求するかということになりましょう。それは迂濶《うかつ》なわたくしに取っては、難問題でございます。
 わたくしはそれを避けて、必要か不必要かという問題を、わたくしの歯の立つ方角に持って行きたいと思います。どういう方角かというに、わたくしは問題をわたくし個人の上に移してしまいたいのでございます。
 現在の口語に訳した源氏物語がほしいかと、わたくしが問われることになりますと、わたくしは躊躇《ちゅうちょ》せずに、ほしいと申します。わたくしはこの物語の訳本を切に要求いたしております。
 日本支那の古い文献やら、擬古文で書いた近世人の著述やらが、この頃沢山に翻訳せられます。どれもどれも時代が要求しているのかも知れませんが、わたくしのほしいと思う本は、その中に余り多くないのでございます。中には近世人の書いた、平易な漢文を訳した本なんぞは、わたくしは少しもほしく思いません。
 わたくしのほしいのは、古事記のような、ごく古い国文の訳本でございます。それからやや降《くだ》って物語類の中では、源氏物語の訳本が一番ほしゅうございます。
 しかしそのわたくしのほしがる訳本というのは、ただ現代語に訳してあるだけで好いと申すのではございません。わたくしはあまやかされている子供のような性質で、ほしいといっていた物を貰っても、その品の好悪次第で、容易に満足しないのでございます。
 そのわたくしでもこの本には満足せずにはいられません。なぜと申します
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