俺の信用というものが……。むしろ瘤と一戦を交えたことによって――彼はあれをきっかけにあくまでやる覚悟をきめていたのである。――村民の信望をかち得たはずの俺ではなかったのか。
しかるに……考えると頭が痛かった。二日も三日も、彼は一室にこもったきりで、財産目録を傍に、切り抜け策をとうとうはじめなければならなかったのである。
「あんた、お巡りさんよ。」
妻の心配そうな顔が、障子をあけて……。それはもはやどうにも対策が考えつかず、いっさいを投げ出して再び満鮮地方へでも出かけようかと捨鉢な気持さえ起りかねない矢先だった。
「なんでしょうね、あんた……」と妻は心配そうに重ねていっている。
「何かな、別に、俺、ケイサツに用のあるはずもねえが……」
「今日《こんち》は……田辺さん――」と巡査の呼びたてる声。
「あい、何か用か……」
出て行くと、村の巡査は、ばか丁寧に、少し世間話をやってから、
「いや、お忙しいところを……」
と言って、そして紙片を出し、田辺へ突き出して、
「なアに、何でもないでしょう。ちょっと訊ねたいことがあるとか言ってたようでしたから、たぶんそれでしょう」と説明した。
「ふう……明××日、本人出頭のこと……代人を認めず……ふう。」
田辺は平べったい顔をひきゆがめ、鼻をくんくん鳴らしながら、二度も三度もその文句を口にしている。
「なんでもありませんよ……いや、時に、こないだ村会で大いにやられたそうで、村民も大喜びでしょう。実際、私からいってはなんですが、瘤のこれまでのやり方というものは、その、あれ[#「あれ」に傍点]ですからな……」
「これは、やっぱり、本人が行かなくちゃいかんものかな」と田辺は顔をしかめて呻るように言った。
「はア、やっぱり、本人が……」
次の日、F町の警察へ出かけた田辺定雄は夜になっても帰らず、その翌日もかえらなかった。
選挙違犯で、彼から「清き一票」を買ってもらったという十数名の村人と共に、ひどい取調べをされているという噂が立った。すると、
「ああ、それはなんだ[#「なんだ」に傍点]よ」とわざと田辺の妻へ言ってくれるものが出て来た。「それは、奥さん、瘤神社[#「瘤神社」に傍点]へお詣りすれば、はア直ぐに帰されるよ。そのほかに方法はないでさ。」
* * *
以上のようなことがあってから、約一ヵ年半の月日
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