えと思ってよ。」
この女房の一言はぐさりと浩平の胸を刺した。
「なに、もう一遍言ってみろ。」
ぐいっと向き直ったが、おせきのぎらぎらする両眼に打《ぶ》つかると、浩平は矢庭《やにわ》にそっぽを向いた。
「一遍でも百遍でもいうとも。こんな肥料、いくらで、誰から買ったか知んねえけんど、これが丁満《ちょきん》に利いたらお目にかからア。」
何か言いかえすかと夫を見たが、そっぽを向いたまま知らん振りで、相変らずばらばらと撒きつづけているので、おせきは威丈高になった。
「こんなもの、いくらで買ったか知らねえが、よくもそんな腐れ肥料買う金があったことよな。まさか、その金、どこからかぬすと[#「ぬすと」に傍点]して来たわけじゃあるめえが、よく借りるところがあったことよな。」
暗に母のところを指したこの針をふくんだ一言は、またしてもぐさりと浩平をえぐった。
「どこで借りようと、誰に借りようと、お前らに心配かけねえから……」
「心配かけねえ?」
「かけねえとも――」
「ふん、そんな、はア、水臭えこと抜かしやがるんなら、さっさと俺家出てもらアべ、婿の分際も弁えねえで、心配かけねえとは何事だ。自分勝手に、婿なんどに身上引っかき廻されて、それでこの俺が、黙っていられっかっちんだ。これで俺ら、人に後指《うしろゆび》さされるようなこと、まあだした覚えはねえんだと。このでれ[#「でれ」に傍点]助親父。」
おせきは遠くの田圃にいる人々が首をもたげたほどの声で、家付娘の特権を振りまわした。
「ばか阿女、いくらでも哮《ほ》えろ」と浩平は気圧《けお》され気味で、にっと笑った。「山の神なんか黙って引っ込んでいればいいんだ。何のかんのと差出がましいこと言うのを、俺の方の村では雌鶏めとき[#「とき」に傍点]吹くって笑うんだ。雌鶏とき吹くとその家に災難があるって、昔からこの辺でも言ってべ。」
「何だと、きいた風なこと吐かしやがって、汝《いし》ら、はア、俺家のおっ母とでもいっしょになれ……今日限り、縁を切っから、はア……」
おせきは地団太を踏んで、歯をぎりぎりとかみ、熱い涙をはらはらと飛ばした。
「おっ母さん、はア、勘忍して……おっ母さん、よう勘忍して……」とおさよが、泥手のまま夫に武者ぶり付こうとする母のあとから、いきなり縋《すが》りついた。
六
次の日、長男の勇が東京の工場からひょっこり帰って来て、おせきの気持はどうやら転換した。田圃には自分たち同様、田植の人々がそこにもここにも見えたので、彼女はおさよにすがりつかれるまでもなく、じっとそこで我慢したのであったが、あくまで白《しら》をきっている夫の態度には、ますます腹が立ってならなかった。その日一日中、思い思いの仕事をして、夜も思い思いに過ごしたが、あくる朝になっても口をきく機会はなく、おせきはそのまま野良支度になろうとはしなかった。それに彼女はこないだから多少、自分の体の生理的な異状をも自覚していたのであった。
今夜はお寺で部落常会があるから、各戸、かならず誰か一人出席のこと――という役場からの「ふれ」を隣家へ廻して、そこの老婆としばらく無駄話を交換し、やがて何か見馴れぬ洋服姿の男が自家の門口を入って行った様子に、戻って見ると、それが、はからずも勇だったのだ。
「おや、誰かと思ったら。――どうも、誰かが来たように思ってはいたが――」
半年ばかり見ないでいるうちに、急に、町場の青年らしく、大人びた忰を見た彼女は、最近人に見せたことのないような嬉しげな微笑を顔いっぱいに湛えた。
勇は国防色のスフの上衣を脱ぎ、上り端へ胡座《あぐら》をかいてから、小さい新聞包みを母の方へ押しやった。
「おみやげだ。何にもなくて駄目だっけ。」
母の大好物の鰹の切身を彼は汽車を降りた町で買って来たのである。それに、別に少しばかりの東京風の菓子。そしてそれは勝やおさよや、その他の幼い者たちへ。
「みんなどうしたか。」
と彼はがらんどうの家を見廻して訊ねた。
「由次と勝は田植、さア子は今日は、出征家族の奉仕労働とかで、どうしても学校さいかなくてえなんねえなんて行っちまアし、おッちうらはその辺で遊んでいんだっぺ。」
「俺いなくて田植大変だっぺ。」
勇はこんどは土間のあたりを見廻した。貧しい小作百姓のむさ苦しい煤けた土間には、ごみごみした臼や古俵ばかりで何もなかった。
おせきは答えず、別のことを訊ねた。
「東京の方は外米だちけか。まずくてひどかっペ。」
「うむ、ひでえや、ぽそくさで、味も何もねえ。」
「ふでもどうだか、こっちの死米の麦飯と較べると、まアだ、外米の方がよくねえか。」
「うむ、どんなもんだかよ。」
「今年は、はア、洪水浸《みずびた》しの米ばかり残っていて、まアだ食いきれねえでいんだよ。いくら団子にしても、へ
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