に死し、祖父母の許にあって成育した彼女と弟とのみが、辛うじて一人前になったが、いや、そのことよりも何よりもおせき兄弟を身も世もあらぬ思いに駆ったのは、「お前ら家のおっ母は誰某のメカケだっぺ、……」と言ったような同僚たちの嘲笑だった。
 そのために兄弟たちは殆んど学校へも行く気になれず、いい加減のところでやめてしまい、祖父に従って百姓仕事に身をかくし、長兄の出奔後、おせきは十八歳でいまの浩平を婿にもらって、傾く身上を支えたのであった。弟の清吉は、これも十五のとき東京の工場へつとめることになって、後、電気会社に入り、いまは応召中である。
 母のお常は家にいたりいなかったり、定まらぬ日常を送っていたが、四十五六の頃、身体を悪くしてからは余り出歩かず、いつの間にか昔の姿にかえって野良へも出るようになっていた。ことにおせきが次から次へと子供を産んで、ますます困窮の加わるここ数年間、全く母の手なしには、一家は「のたり切れ」なかったと言ってよかったのでもあった。
 そんなことで、過去のことはいつか忘れられた。おせきが産後の摂養期にあるときなど、浩平とお常は自然同じ仕事に携わらなければならず、笠をならべて田植もすれば、畑の作入れもし、野良で、同じお櫃《ひつ》の弁当も食べた。
 ――二人の仲が変だ、というような噂が村を走り廻った。そしてそれはおせきの耳へも入らずにはいなかった。ばかりでなく浩平が身のほども知らぬ新しいシャツなど着ていることがおせきの眼にとまったこともあり、金銭上のことでも母と夫との間に、時々共通の出費があるのを発見したこともあった。
 そんな事情で、おせきは浩平との口争いのとばちりを母へ持って行って、とうとう別居を強要し、お常も「一人で暢気にしていた方がいい……」などと言って別れたのであったが、それ以来も浩平が相変らずちょくちょく母のところから自分の知らぬ出費を借り出しているらしかったのだ。が、おせきは努めて知らぬ振りを装い、母ももはや年が年だし……まず小遣銭の借り貸しぐらいは……とそんな風なところで納めていたのである。
 それにしても依然として気持のいい筈はなかった。母の体臭のようなものを浩平の肌に感ずるようなことがあると、一週間でも十日でも、彼女は夫を突きとばして寄せつけなかった。いまもまた、あの、夫の何かしら不敵そうな、城壁を築いたような態度から、彼女は肥料代のことに思いを及ぼし、まざまざと母の烙印を見たように思ったのだ。気を取り直して田へ行くには行ったが、おせきは胸が静まらなかった。覚束《おぼつか》ない手つきで苗を取っているおさよの、そののろのろした不器用さまでが癪に触った。
「そんな取り方で植えられっか、このでれ[#「でれ」に傍点]助阿女――」と彼女はいきなり叱りとばした。「こういう風に指先で分けて取るんだ。馬鹿、俺らお前の年には、はア、どんな仕事でも大人並に出来たど。婿の二人や三人貰ってもびくともしねえ位の気持だったど。このちんちくりん奴。」
 代掻《しろか》き器械を扱いかねている由次と勝の動作にも同様に腹が立った。
「馬鹿野郎ら、そんな風に把手を下げる奴があるもんか、空廻りしちまって何度やっても駄目だねえか。把手を上へあげて、上へ……。汝《いし》ら、はア、いくつになると思ってけっかるんだ。一人前に大飯ばっかり喰いやがって、このでれ[#「でれ」に傍点]助野郎ら。」
 やがて浩平が牛車で肥料の叺をいくつか積んで来て、それを代田《しろた》の近くに持ち運び、黙ってその口をあけ、そして灰桶へあけては、ばらばらと由次と勝が掻きならした田の面でばら撒きはじめた。
 ぷんとその匂いがおせきの鼻を打った。気持をそそる肥料の匂い――が、そこには何か不純なものが含まれていた。彼女は苗取る手を休めて苗代から代田の畦へ近づき、そのばら撒かれた肥料を泥の上から掬い上げて、色合を見たり匂いをかいだりしていたが、今度は叺そのものに近づいて、ざくりと手一ぱいに掬い上げて検分した。
「こんな配合……なんだや、これ、糟くそ[#「くそ」に傍点]みてえなもの、これでも利《き》くつもりかい。――誰からこれ買ったか知んねえけんど、まさか、塚屋だあるめえ。」
 浩平は返事をしなかった。そっぽを向いて、ただ熱心に、ばらばらと撒いて歩いた。
「ああ、お父、まさか塚屋から買ったんだあんめえよ。」
 さらに追求されて浩平は反発した。
「塚屋から買ったんならどうしたか。」
「どうしたもこうしたもあるもんか。あのインチキ野郎、山十の倉庫から十年も二十年も前の、下敷きになっていた利きもしねえ腐れ肥料持ち出して来て、そいつを新しい叺につめかえて、倍にも三倍にも売っているんだちけが、まさか、俺家のお父ら、天宝銭でも八文銭でもねえちけから、そんな、塚屋らに引っかかったわけではあるめ
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