でも、俺ら、そんなことはどうでもいいんだ。ひとに嗤《わら》われたくねえから、俺ら、していんだから……」
投げつけてからおせきは、傍につくねんと立っているおさよに向って昂《たか》ぶる胸のうちを奔注させた。
「赤玉飲ませたのか、あれほど言ったのに、……飲ませりゃ、こんなにならないうち癒ってしまアんだ。」
「だってお母さんは……いくら飲ませたって、げっげっ……と吐いてしまうんだもの、しようあっかい。」
「しょうある、この馬鹿|阿女《あま》――十三四にもなって赤ん坊の守も出来ねえなんてあるか。」
「おさよのこと怒ったって病気はよくなんめえ」とお常がそこへ横あいから口を出した。「それより、はァ、早く医者様でも頼んで来なくてや、ヨチ子おッ殺しまアべな。」
「大きなお世話だよ。いくら俺だって七つや十の餓鬼奴《がきめ》じゃあるめえし、それ位のこと、言われなくたって知ってらア。知っていっけんど、医者っちば、すぐに金だっペ。金はただでは誰も持って来てくれねえんだから……俺らには……」
「それこそ大きなお世話だ。」お常はお終いの一文句が自分にあてつけられたものと思って鋭く言いかえした。「汝《いし》ら、そんな意地悪だ。どうして俺の腹から汝のような悪たれ娘が生れて来たのかと思うと不思議でしようねえ。」
お常はくらくらとして前後の弁えもなくなりそうになったが、そこへ隣家の若衆が、心配そうに眼をかがやかせて、そっと土間へ入って来たのに気づき、気を取り直して、裏戸口から出て行った。
「俺、医者様へ行って来てやっか」と若衆はおせきの顔色をうかがった。
「おや、心配かけて済まねえね。」
おせきも我にかえって笑顔をつくろい、やや考えていたが、
「なアに、おさよをやるからいいんですよ。この忙しいのに、わざわざ行ってもらわなくても……」
「でも、俺、はア、仕事から上って来たんだから……」
「でも、いいんですよ。やるときはおさよをやるから。」
おせきはまだ決心がつかなかったのだ。若者はそれと察して、行くんなら何時でも行ってやるから……と繰返して言って遠慮がちに出て行った。
入り代りに、裏の家の女房が、夕飯の支度に野良から上って来たといって立ち寄らなかったら、おせきの決心はまだまだつかなかったであろう。自分の子供を二人も疫痢で亡くしているこの女房は、ヨシ子の容態を一目で見てとった。
「まア、おせきさん、早く、お医者さん頼んで来なくてや……」
そこでおせきもびっくりして、おさよを呼んだ。と、横あいから「俺行ってくる」と叫んで飛び出したのは勝であった。彼は母親のかえったのを幸い、自分もこっそり仕事を放ったらかして家へ戻っていたのだが、今まで、叱られると思って、納屋の方にかくれていたのである。
「あれ、この野郎、いつの間にかえった。」おせきは顔を尖らしたが、叱りつけている暇はなかった。「汝《いし》らに分るか、この薄馬鹿野郎。――さア子、早く、裏の家の自転車でも借りて行って来う。」
庭先に干した小麦束を片づけていたおさよは、言われるなり裏の家へ行って、軒下に乗りすててあった自転車をひっぱり出した。が、大人乗りのその自転車はサドルが高くて足が届かなかった。彼女はまるで曲乗りのような具合に、横の方から片脚を差入れ、右足だけでペダルを踏み、それでも危なげなく吹っとばして行った。
村の医者は往診から帰ったところで、そのまま早速自転車で来てくれた。そして注射を一本打っておいて、それから腹部のものを排渫させると、ヨシ子は呼吸を回復し、少しく元気づいてきた。
「危なかった、生漬の梅だの、腐れかけた李だのを、うんとこ[#「うんとこ」に傍点]食べていた」と白髪の村医は笑った。
甘酸っぱいような水薬をつくって、その飲み方や、病児の扱い方などを細々《こまごま》と説明して、やがて医者は帰って行った。
その頃、ヨシ子はもう殆んど平常の息づかいになって、すやすやと眠っていた。
ところで、浩平はまだ野良から帰っていなかった。医者がやって来て病児の処置をしているうち、由次は黙って、いつの間にかえったか、風呂の下など焚きつけていたが、「お父は」と訊ねても、「いまにかえって来べえで……」と答えたばかりであったのだ。医者が帰ったあと、おさよがごそごそ台所で準備した夕飯を、おせきも子供らといっしょに食べ終ったが、それでも浩平はかえらない。
「お父は、組合さ行ったきりかい」とおせきが、そろそろ苛々しい気持になって、改めて由次にきくと、
「だもんか。野良から上りに、またどこかへ廻って行ったんだ。俺こと、さきにかえれなんて言って。」由次はぷすんとしている。
「馬鹿親父め、こんな騒ぎしていんのに……暢気《のんき》な畜生で、しようねえ。」
おせきはぶつぶつと呟きながら、いったん出した浩平のお膳を戸棚の中へ
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