の誘惑だったに相違ない。ひょっとすると今夜あたり、猪の一枚も間違って入っていないと、誰が保証し得ようぞ。
それにしても家の中はやはり家の中で、決して誰もいない暗夜の野っ原ではなかった。野っ原から家の中への転向し向上した彼にとって、たしかにそこは勝手が違っていた。
彼は家人に見つけられてしまったのである。眠っていると思ったこの家の親父が、あるいは眼をつむったまま、まだ何か考えごとでもしていたのだったかも知れぬ。彼は古い煤だらけの手槍をなげし[#「なげし」に傍点]から外し持ったその禿頭親父のために、横合いから危く突っこ抜かれようとした。辛うじて逃げ出しはしたものの、肝心の証拠をそこに残してしまったのである。
証拠というのは片方の草履だった。音をたてまいために彼がわざわざ穿いて行ったR家独特のぼろを交ぜてつくった、ばかりでなく、その上へご丁寧にも、人に盗まれまいために焼印まで捺した草履だった。
Rのような、かかるコソ泥は、決してどこの村にも珍しくない存在である。彼らは別にその日その日の食物に困っているのでもなければ、公租公課の負担に押しつぶされてしまっているわけでもないのだ。ただ、身
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