と、その神様がここへ寄りましたよ。俄か雨がやって来て、洋傘もなかったらしく、ずぶ濡れになってしまって飛び込んで来たンでしたが、ちょうどそこに、××から蟹を商いにやって来たおいささんという女のひとが、やはり雨宿りしていたんですよ。おいささんはもう十年ばかり後家を通している働きもんでね、いくらか小金もためているという評判もあるンですがね。あれで少し顔でも人並みだと、まさか誰だってああして一人じゃ置きますめえがね……なにしろあのご面相じゃ……でもまだ若いんですよ、三十を越したばかりでしょ。まアそれはとにかく、おいささんが、今晴れるか晴れるかと思って、空ばかり見ているもんだから、神様もはじめは黙って、着物なんか拭いていたっけがね、「おッ母《かあ》、酒一ぱいつけろ!」っちから、つけてやると、それを旨そうに飲んで、急にご機嫌になっちまってね、どれ、姉さん、手の筋見てやっぺ……なんて、こう、ぐいッとおいささんの方へ寄り添っちまってね、おいささん、びっくらして、ぽかんとしているのもかまわず、手のひら引っくりかえして、ふう、ふう、姉さんは……っちわけだっけね。おいささんは見料取られッから嫌だって手を引っ込めようとすると、無理に手頸なんか握っちまって放さねえで。それから、お前さんはひとり者だな、商売の方は今うまく行ってねえが、どうこうすっとうまくいくようになると、お決まりの文句を並べはじめたっけが、おいささんも商売は熱心だからね、その話になると、つい、乗っちまったね。神様と話おっぱじめっちまった訳でさよ。
すると神様は喋り出した。いや、何を喋ったか知らねえが、酒をもう一杯、もう一杯……で、とうとうおいささんへ杯を差したもんで、受けろッち騒ぎでさ。おいささん、はじめてびっくらして、嫌だって逃げると、そんなことはねえ、神様の杯、なんとかかんとかって怒り出しちまってね。おいささん、怖くなっちまって、肴に蟹やるから、酒だけは勘弁してくろッちわけでね、なんでも蟹二つ三つ、籠から出して神様に食わせて、ようやく機嫌直してもらったね。
するとどうだっぺね、神様すっかり悦んでしまって、商売繁昌の呪禁《まじない》してやっから、あっちの、奥の部屋で、十五分ばかりで済むから、いっしょに酒飲みながら……っち話さ。あの神様、あれでよっぽど女好きですと……
バスが来てしまった。神様はおいささんを呪禁ったかどうしたか? 私の耳へは、お主婦《かみ》の話の代りに、女車掌の「お待ちどう様でした。××行きでございます……」
米泥のM公
いつ見ても腐れ切った草屋根のところどころ雨漏りのする個所へ煤けきった板など載せて、北側の荒壁は崩れるままにまかせてあるのだったが、その廃屋同様のM公の家が、どうしたのか立派(?)に修繕せられて、やや人の住居らしく往還に背を向けて立っている。M公も「堅気」になったのかしら、女房でももらって「身を固めた」のかしら、と思って聞いてみると、否、どうして、彼はまた七年半ばかり「食《くら》い込んで」、最近出かけて行ったばかりだという。
「また、米でか――」
「ンだ」といって話者は微笑した。
M公は「米俵かつぎ」以外に、それこそ塵一本他人の物は盗ったことがないという泥的仲間の変り種なのである。一人前の体力が出来てから四十年このかた、何回彼は米をかついだろう。しかもそれがきまって二俵ずつ、貫目にして三十二貫ずつ、決して足跡も残さずにやってのけるのだから、その方にかけては、まさに「神技」を体得しているといってよかった。「今度も例の伝で、××の治兵衛どんの倉から四俵やらかしたんだ」と話者はいうのであった。
「それがよ、雨上りの泥道だっけが、ンでも、どこにもそれらしい跡がねえんだちけから、全く偉いものよ。」
「しかし、よく盗まれたのだけは解ったな。」
「うむ、やはり二三日分らなかったな……」
だが、どうも「変だ!」と家人が気づいて、積んである俵をかぞえて見ると、どうしても四俵不足している。「やられた!」いまさらのようにびっくりして、村の巡査駐在所へ自転車を飛ばした。
するとどうだろう、その途中、××屋という白米商の軒下をふと見ると、そこにちゃんと四俵の米が積まれている。今の今、誰かが売りに来るか、買って来たかしたものに相違ない。例の虫が知らせたとでもいうか、自転車を飛び下りて俵を検分すると、たしかに自分のである。小作米として取ったその俵装には、ちゃんと生産人の名前が記入せられていたのである。
誰から買ったのか? 今朝、M公が持って来たのだ! といったようなことで、たちまちこの泥棒事件は、頭かくして尻隠さずに終ってしまった。巡査と治兵衛がM公の家へ行くと、彼は悠然としてひとり朝飯をやっていた。久しぶりで彼は酔っぱらってさえいた。
彼の前半生は――
前へ
次へ
全10ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
犬田 卯 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング