したか? 私の耳へは、お主婦《かみ》の話の代りに、女車掌の「お待ちどう様でした。××行きでございます……」

     米泥のM公

 いつ見ても腐れ切った草屋根のところどころ雨漏りのする個所へ煤けきった板など載せて、北側の荒壁は崩れるままにまかせてあるのだったが、その廃屋同様のM公の家が、どうしたのか立派(?)に修繕せられて、やや人の住居らしく往還に背を向けて立っている。M公も「堅気」になったのかしら、女房でももらって「身を固めた」のかしら、と思って聞いてみると、否、どうして、彼はまた七年半ばかり「食《くら》い込んで」、最近出かけて行ったばかりだという。
「また、米でか――」
「ンだ」といって話者は微笑した。
 M公は「米俵かつぎ」以外に、それこそ塵一本他人の物は盗ったことがないという泥的仲間の変り種なのである。一人前の体力が出来てから四十年このかた、何回彼は米をかついだろう。しかもそれがきまって二俵ずつ、貫目にして三十二貫ずつ、決して足跡も残さずにやってのけるのだから、その方にかけては、まさに「神技」を体得しているといってよかった。「今度も例の伝で、××の治兵衛どんの倉から四俵やらかしたんだ」と話者はいうのであった。
「それがよ、雨上りの泥道だっけが、ンでも、どこにもそれらしい跡がねえんだちけから、全く偉いものよ。」
「しかし、よく盗まれたのだけは解ったな。」
「うむ、やはり二三日分らなかったな……」
 だが、どうも「変だ!」と家人が気づいて、積んである俵をかぞえて見ると、どうしても四俵不足している。「やられた!」いまさらのようにびっくりして、村の巡査駐在所へ自転車を飛ばした。
 するとどうだろう、その途中、××屋という白米商の軒下をふと見ると、そこにちゃんと四俵の米が積まれている。今の今、誰かが売りに来るか、買って来たかしたものに相違ない。例の虫が知らせたとでもいうか、自転車を飛び下りて俵を検分すると、たしかに自分のである。小作米として取ったその俵装には、ちゃんと生産人の名前が記入せられていたのである。
 誰から買ったのか? 今朝、M公が持って来たのだ! といったようなことで、たちまちこの泥棒事件は、頭かくして尻隠さずに終ってしまった。巡査と治兵衛がM公の家へ行くと、彼は悠然としてひとり朝飯をやっていた。久しぶりで彼は酔っぱらってさえいた。
 彼の前半生は――
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