のと見え、この村の不毛地に対し、畦地は熟田の時価の半額見当に、畑ざかいの荒地は隣接の畑地の約半額と言ったふうに『査定』し、急遽払下げの通告を村役場へよこしたものである。
 その頃、儀作はいまでもはっきり覚えているが、村ではちょうど秋の収納が大方終って、儀作自身のような小作階級のものは、例によって地主へ年貢米や利子払いを殆んど済ましていたし、その他、肥料屋の払いや、村の商い店――油屋からの半期間の細々した帳面買いも、とにかくどうにか片をつけて、旧正月も貧しいながら待っているというような時期で、村には余分の金など、地主たちを除いては一文もなかったのである。ところで儀作自身は三反歩の自作地を山の傾斜面に持っていたし、それに隣ってほぼ同じほどの面積の小作田も持っていた。そしてその一隅の耕地は役場からの通知によると三畝歩ほどの『荒蕪地』を含み、さらに彼は川沿いの畑地を二三ヵ所に飛び飛びに耕作していたが、そこには五畝歩ほどの不毛地――恐らく年々の洪水のために蚕食されて川床になっている部分でも勘定に入れない限り、誰が見てもそんなにあるとは思えなかったほどのものが存在していたのである。実測してもらわな
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