と印刷された文書に、大きな、眼玉の飛び出しそうな朱印をきちんと捺した督促状が、付近の債務者のもとへ届けられるようになったのである。
もっともこれらは何千という大口らしく、百や十の単位の小口に対してではなかったのであるが、やがてそれが次第に百や十の、全く忘れられているような小口に対してさえ、同様に物々しい文書が届けられはじめた。それはまるで予期しない恐慌を雪ふかい村々に捲き起した。それに人々はかつてこのような借金の取立て法に遇ったことがなかったので何層倍もびっくりする反面、ただちに反発して『若造』のやり方を詈りはじめもした。古来の抜きがたい習慣を無視してその法律一点張りの、呪われたる督促……それが正月早々からなので、ことに彼らをいきり立たせたのでもあった。
いかにこの新式の方法に対抗したものであるか。無論、その対抗方法はにわかに解決がつかなかった。ある者は昔式に直接出かけて行って若旦那様に面会を申込んだ。が、肝心のその若旦那様は何時も『不在』。たとい広い邸宅の奥の方に姿が見えたにしても、決して店先へなど現れず、依然として『不在』なのである。先代時分には何憚るところなく、奥の方へまでのし込めたような人たちでさえ、事、借金に関する限り、「それは弁護士に一任してあるのだから、俺は知らない」の一言をきくに尽きていた。
ところで、栗林儀作も、とうとうその始末にいけない朱印の文書を受取らされた一人であった。彼は北支で鉄道の警備に任じている忰へ古谷からの借金についてのあの手紙を出して間もなく、その配達に接したのであった。先代同様に、いや、先代よりはとにかく東京という文化都市――…………………………………………………………………………後藤新平の言ったとおり、世界で何番目かの大都にこの十年間に見ンごと盛り上ったそこで、長い間教育され、そこの華やかな空気を吸って来ているだけ、当主傅介氏は[#「傅介氏は」はママ]、忰にも書いてやったように物分りがいいであろうと考えていた事実は、今になってあべこべのように思えてきた。だが、彼は人の多くとは違い、もと、挽子として出入りしていて、若旦那のことも子供の時分から知っていた。若旦那の方でも俺のことは知らぬはずがないと彼は考え直した。そこで、他の村人が何回足を運んでも弁護士云々の一語によって手もなく追っ払われるときいても、彼は自分だけはそんなことは
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