つけがましく叫んで、小遣銭かせぎの牛車をひき出して行ったのも彼女にとって癪でならなかった。
「俺も花見だ、俺ら朝っぱらからだ」と追いかけるようにいうと、
「また蟇口なくせ、失くした上に占師に見てもらって三円も損しろ。」
 お通は地団太踏んで「失くすとも、この家の身上ぎり失くして、千円がどこも占いやって、借金こしらえてやらア。」
 くさくさして仕方がなかった。本当にS川土手へ行ってやろうかと考えたが、もう母の財布にもそんなに金は入っていないことを彼女は知っていた。もっとも兄貴は相当持っているに相違なかった。豚を売った金だってまだそっくりしているはずである。今朝も、「失くしたものは、はア、いくら何といったって仕様ねえんだから、野良着だけは和一が買って来たら……」という母親に対して、「ばかな、俺ら今年は裸体《はだか》で田植だ」なんて罵ったくせに、あとでは二反買うのか一反でいいのかなどと聞いていたくらいであったが、でも、お通へは一銭だって出すまいとするのである。「そんなけちん[#「けちん」に傍点]坊なら誰が……たといやろうといったって貰ってやるもんか。」
 お通は麦さく切りに出かけた。二三日くよくよ探し廻っているうちによその家では切り終えていたらしく、もう誰の姿も見えなかった。汗を流して働いていると花火のことも着物のことも気にならない。ぽかぽかと暖かい日光、大空に囀る雲雀、茶株で啼く頬白、ああ、春ももうあといくらもないのだ。菜の花の匂いを送ってくる野風に肌をなぶらせつつ、いつか彼女はぼんやりと考えこんでしまっていた。
 午後も畑へ出るつもりでいると、お梅とお民がけばけばしいレーヨンの春衣で、きゃっ、きゃっとはしゃぎながら訪ねて来た。
「行かない?」と彼女らは口々に叫んで庭先へ駈け込んだ。「このいい天気に、もさもさ麦さく切るばか[#「ばか」に傍点]はねえわよ。」
 お通は縁側に腰をもたせかけ、畑の土のついた地下足袋をぱたぱたと叩き合せて、
「そうよ、世界にたった一人しか、なア。」
「誰よ、そのばか[#「ばか」に傍点]は。」
「俺よ……十五円もすっぽろっちまって、何が花見だってわけだ。」
「あれ、まだ出て来ねえの。」
「出るもんか、出たくらいなら今日ら、鼻天狗で、すしでもカツ丼でもお前らの好きなもの奢ってやら。」
「くよくよすんない」とお梅さんが大振りの晴れやかなでこぼこ[#「
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