彼の知り合いの時計屋である。最近地金の騰貴につけ込んで、入歯でも金時計でも万年筆でも、金と名のつくものなら何でも買入れていることを彼は知っていたのだ。
 塚田屋の店先へ行ってみると、四五人の百姓と一人の巡査がいた。巡査は今の今、誰かに呼ばれて、競馬場の方からやって来たものらしく、自転車を下りたばかりだった。
 仙太は傍らからのぞき込んだ。塚田屋は時計師らしく前額の禿げ上ったてらてらした頭をうつむけて、丹念に一個の金時計を眺めていた。
 ――てんぷらもてんぷら、ひどいてんぷらだ。
 それから巡査の姿を見つけて妙に笑いながら、
 ――どうぞ! と言って席をつくった。
 てんぷら! と聞くとそこにいた百姓達の顔がさっといちどきに蒼ざめた。瞬間、口をきくものがなかった。が、やがて彼らはいっせいにわめき出した。
 ――ぺてんに引っかかった。
 ――畜生! ひでえことしやがる。
 ――叩き殺してしまえ! 野郎!
 今や、仙太にも解った。五百円すっちまって帰りの汽車賃がない、金時計を買ってくれの手に、みんな引っかかったのだった。仙太はその瞬間、ぐらぐらと大地が揺れ出し、それがぐるぐると廻りはじめたように感じた。さきの紳士の生白い顔がぱっと現れた。彼は店先の柱につかまって両眼をぐりぐりと剥《む》いたが、次ぎの瞬間猛獣のように咆哮した。「よし、畜生、取っつかめえて叩っ殺してやる。どこまででも畜生、東京まででも追って行《い》んから……」



底本:「犬田卯短編集二」筑波書林
   1982(昭和57)年2月15日第1刷発行
入力:林 幸雄
校正:松永正敏
2007年12月8日作成
青空文庫作成ファイル:
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