、女房には内密で持ち出した五円札も、実はそうした月末の納税にぜひ必要なものだった。
――十倍にして返さい! 畜生、けちけちしやがるねえ!
彼は村を出端れて野の向うに町のいらかがきらきらと春の日光を受けてかがやいているのを眺めると、気が大きくなってしまった。この日の競馬を知らせる煙火がぽんぽんと世間の不景気なんか大空の彼方へ吹っ飛ばしてしまいそうにコバルト色の朝空にはじけた。
仙太は、でも神妙に山裾の開墾地へ行って午前中だけ働いた。あとで女房から証跡を発見されてはいけないと無論考えたのである。が、十一時、十二時近くになって、眼の前の道をぞろぞろと人々が押しかけはじめるのを見ると、もうたまらなかった。お祭の朝の小学生のように彼の胸は嵐にふくらんでしまった。
野良着の裾を下ろした彼は、そのまま宙を飛んだ。町の郊外にある競馬場は、もう人で埋っていた。すでに何回かの勝負があったらしく、喊声や、落胆の溜め息や、傍観者の笑いさざめきなどが、ごっちゃになってそこから渦巻き昇っていた。
彼は人混みを分けて柵に近づいた。煙草入のかます[#「かます」に傍点]から、前夜隣家から借りて切り抜いて取っておいた新聞の一片――そこには無論、昨日の勝負が掲載されてあった――を引き出して、彼は熱心に眺め入った。もう組合せは相当興味のある部分へ入っていた。彼は出場するそれぞれの馬の名前、騎手の名前は殆んど知っていた。そしてどの馬がもっとも成績がよいか、どの騎手が最近出来が悪いか、などというかなり細かいところまで知っていた。
しかし今日は新しい馬もだいぶ現れていた。それは穴をねらっての主催者側の作戦であることは分り切ったことだが、それが図に当って、場内は刻一刻熱狂してきつつあった。
仙太もその空気に捲き込まれ、しばらくの間は夢中になって勝負を眺めていた。が、そのうちにいくらか冷静になった。ひょっと気がつくと、彼は勝負ごとに、自分が勝つと思った馬がいつも勝っていることに気がついた。――今日は運がいいぞ、畜生! 悔しさがもうむらむらと頭をもたげてきた。何故今の今、その勝負の馬券を買っていなかったのかと、そんなことが後悔されはじめた。彼は再び人混みを分けて馬券売場の方へ近づいて行った。見るとそこには勝負ごとに、熱狂し狂乱して、押し合い、へし合いしている人間の黒山、潮の差し引きがあった。勝った人間の顔
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