声と食物
宮城道雄

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)妓生《きいさん》の
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 私の経験から歌についていうと、言葉と節とが調和する時と、しない時とがある。従って、外国の歌を日本語に訳した際に、訳され方によって、音と言葉とがあっていないような気がする。殊にオペラなどにおいて、そうした点に無理なところがあるのを感じるのである。そこへ行くと、長年聞き馴れた邦楽は言葉と節とがよくそぐうているような気がする。その最もよい例は義太夫であるが、ただ、現代の言葉と違うために、今の若い人にはその言葉や音の味わいが直ぐわかるかどうか――恐らくわからないことが多いと思う。
 義太夫は関西に生れたもので、総てが関西語である。これが東京の発音そのままで語られたら、一つの漫談のたねになることだろうと思う。
 現代は交通が便利になって、土地が狭まったようであり、そのため、その土地特有の民謡とか何々音頭とかが沢山出来ていても、純粋にその土地を踏んだことのない人が作ったりする。それはその土地の風景を歌に詠み込んで、一般の人に歌いよいように作曲しているので、別に地方色を現わすのが目的では
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